流石奈良の薬屋さん

 古い知人が薬局を訪れ「最近こむら返りが頻繁に起こるんやけど、なんか良い薬ない?」と質問をされたので、「芍薬甘草湯を試してみて」と答えました。
 服用した翌日、「昨日は薬飲んだのでつりませんでした。助かりました。流石奈良の薬屋さん」とラインで報告がありました。
 「よかったです。暫く飲んでみてね。ツムラは奈良の薬屋さん?」と送りましたところ、「元々は奈良の宇陀出身で、兄弟がロート製薬の創業者です」と雑学のウォーキングディクショナリーである彼は興味深い返事をくれました。早速グーグルで検索すると、いろいろ出てきました。
 薬のまちというと富山を思い浮かべる人が多いと思いますが、奈良県にも薬のまちがあることをご存知でしょうか。奈良県宇陀市は古来より薬のまちとして知られています。
 ロート製薬の創業者・山田安民氏、ツムラの創業者・津村重舎氏、『命の母』を生み出した笹岡薬品の創業者・笹岡省三氏も宇陀の出身で、山田安民氏と津村重舎氏は実の兄弟」だそうです。
 現在はアステラス製薬となった「藤沢薬品工業」の創設者・藤沢友吉氏もこの地と深いかかわりを持つと書かれていました。また、昨年はこのことがツイッターでも話題になったそうです。
 私が読んだ記事では、現地で取材をしたことが書かれていて、宇陀市教育委員会の文化財課の担当者のお話では、この地域と薬の関わりは古墳時代から飛鳥時代にも遡るそうです。
 『日本初期』推古19(611)年5月条に「夏五月の五日に、兎田野に薬猟す。鶏明時を取りて藤原池の上に集ひ、会明を以ちて乃ち往く。…」とあり、兎田野は宇陀野で、薬猟を資料的に確認できる日本の最初のものとなります。
 薬猟は、5月5日に行われた宮廷行事で、男性は薬効のある鹿の角を採り、女性は薬草を摘んだそうです。宇陀地域は王権の薬猟地として知られていたそうです。
 時代は飛び江戸時代、1729年(享保14)年に史跡森野旧薬園が造られました。現存する日本最古の私設薬園で、当時民間のものは極めて少なかったそうです。大宇陀では50軒以上の薬問屋が立ち並び、現在の宇陀市歴史文化館「薬の館」は旧細川家の住宅でした。細川家の友吉は藤沢家の養子となり、その後藤沢薬品工業を創設したそうです。奈良の地の神様が薬を生み出すのでしょうか、関わりの多さと奥の深さに流石奈良と思わざるを得ません。
 ウォーキングディクショナリー氏のお話に戻ります。「東京に住んでた時に叔父(親父の弟)も慶応大学の学生で、うちに同居してたんです。そして学友何人かがよくうちに遊びに来てたんですが、その一人が津村君でツムラ順天堂の子息でした。何時もバスクリンを持ってきてくれてました。懐かしい思い出です」とのこと。そこでバスクリンについても調べてみました。
 子どもの頃、入浴剤といえばバスクリンと思っていましたし、懐かしい香りを今も鮮明に思い出すことができます。今でこそ当たり前に使う入浴剤もその源を辿ると、ツムラが創業当初から製造・販売していた婦人薬「中将湯」にあったそうです。
 この薬には16種類の生薬が配合されていて、その製造過程で出る残滓(ざんし:生薬を刻んだ残り)を社員の一人が自宅に持ち帰り、風呂に入れてみたところ、夏には子供のあせもが消え、冬には温泉に入ったように身体が芯から温まったというその噂が口コミで広がり、これを商品化して「浴剤中将湯」として発売したそうです。その後品質を改良して、1930(昭和5)年、芳香浴剤「バスクリン」を発売したそうです。
 知人や患者さんたちが私どもに多くの質問をしてくださいますが、なんのことはありません。こちらのほうこそ、たくさん教えていただいて知識が深まります。本当にありがとうございます。

薬剤師 宮奥善恵

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