藤垣哲彦前大阪府薬会長の旭日小綬章受章祝賀会開催

 藤垣哲彦前大阪府薬剤師会会長の旭日小綬章受章祝賀会が30日に大阪市内のホテルで開催され、約220名の参加者が受章を祝った。
 式典では、発起人挨拶の中で乾英夫大阪府薬剤師会会長が、まず、「本日の栄誉は、ご家庭・薬局を守り、心置きなく薬剤師会の職務に専念できるように献身的に支えてこられた奥様のご苦労の賜であり、敬意を表したい」と強調した。

乾氏

 加えて、「藤垣先生は、一言でいうと男前の頼りがいのある格好良いリーダーで我々の兄貴である」と敬意を表し、「大阪府薬の会長としての5期10年の間に、地域包括システムの構築、東日本大震災の経験を踏まえた大阪e‐お薬手帳の作製と全国普及、世界初のスポーツファーマシスト制度の構築など、多岐にわたってご尽力された」と藤垣氏の功績を紹介。
 その上で、「先生は、ビジョン、ミッション、パッション、アクションのお話をされ、一貫して薬剤師・薬局に深い愛情を注がれてきた。今後も益々のご健勝とご活躍を祈念するとともに、引き続き後輩薬剤師への助言をお願いしたい」と訴えかけた。
 続いて、道明雅代副会長が藤垣氏の経歴を紹介した。藤垣氏は、1952年3月26日生れの70歳。1975年3月昭和大学薬学部卒後、大鵬薬品に勤務。1980年より大阪市生野区の谷川薬局に勤務後、開設者となる。
 1992年5月から10年間生野区薬剤師会で役員として活躍。大阪府薬剤師会では、1995年の阪神大震災時に大阪府薬医薬分業対策委員会委員長として逸早く現地入りし、被災地の医薬品供給に尽力した。
 1996年4月大阪府薬理事となり、2000年常務理事、2002年専務理事、2006年副会長を歴任後、2010年から5期10年に渡って会長に就任し、手腕を揮した。
 その間、2013年には大阪で日薬創立120周年記念学術大会を開催するなど、強いリーダーシップで大阪府薬を日本を代表する組織へと育て上げた。
 日本薬剤師会では、2006年4月より理事、以後、常務理事、副会長を努め、医薬分業の発展・定着の円滑な運営に尽力。アンチ・ドーピングに関する専門的知識を持つ薬剤師、スポーツファーマシストの育成にも貢献した。

山本氏


 来賓祝辞では、山本信夫日本薬剤師会会長、石橋真理子大阪府薬務課長、茂松茂人大阪府医師会会長らがスピーチした。その中で山本氏は、「藤垣先生とは年も2歳しか違わず、医薬分業がスタートしてまだまだこれからの時代から切磋琢磨してきた」と振り返り、「会議でエキサイトした人をなだめて冷静に物事を判断し、決して派手にふるまうことなく筋を一本通すのが藤垣先生のやり方である。私もそうありたいと思ったが、成れず今日に至っている」と藤垣氏の人となりを紹介。
 さらに、「70歳はまだまだ若い。日薬がしっかり方向を持って進むようにご指導を賜りたい」と呼びかけた。

謝辞を述べる藤垣氏と夫人(右)

 一方、藤垣氏は、「私は大分県豊後高田市で生まれ育ち、幼少の頃は‟悪い子”として母には随分と迷惑をかけた」と明かし、「一生のうち一度は東京で暮らしたいとの思いから昭和大学薬学部に入学した。大阪府薬では、児玉孝先生や中西光景先生の後姿を見て育ってきた」とこれまでを振り返った。
 その上で、「本日は、是非母にも出席して貰いたかったが膝の調子が悪く叶わなかった。家内とは知り合って50年経つが、私の決めたことに反対はなかった。本当に感謝している。本日ご出席いただいた皆様にも深い感謝の意を表したい。大変幸せに思っている」と謝辞を述べた。

児玉氏

 その後、児玉孝前日薬会長が、「私が日薬会長時に藤垣先生が副会長を務められていた。時々一緒に帰阪したことがあるが、その時必ず藤垣先生は奥さんにお土産を買っておられた。その心使いに感動した」と乾杯の音頭を取り、宴がスタートした。主な来賓祝辞は次の通り。

◆石橋真理子大阪府薬務課長
 藤垣先生の数多い功績の中でも特に記憶に残っているのが大阪府後発医薬品使用促進事業である。患者に寄り添った視線で安心して後発医薬品の使用促進に取り組めるようにご協力頂いた。これからも優れた見識・指導力で地域医療に貢献して欲しい。

◆茂松茂人日本医師会副会長
 大阪では、藤垣先生と仲良し三師会としてご一緒し、その決断力と実行力に感嘆した。当時の太田大阪府歯科医師会会長とお二人で私を育てて頂いた。コロナ禍やウクライナ紛争で我々を取り巻く環境はより厳しくなったが、藤垣先生にはご指導ご鞭撻頂きたい。

◆野田義和東大阪市長
 藤垣先生には、東大阪市が地域モデルを目指した医薬分業を進めていた時から大変お世話になっている。今後も楽しく元気な人生が送れる理想の地域医療を進めて行きたい。そのためには、藤垣先生に様々な面からのご協力をお願いしたい。

◆藤井基之前参議院議員

藤井氏

 藤垣先生には1990年、参議院選挙で浪人中、復活を目指して支えて頂いた。大阪には、是非頑張って頂きたい。東京と切磋琢磨することで、日本全体が良くなる。
 1947年の男性平均寿命は50歳であったが2021年では80歳を超えるようになった。藤垣先生はまだ引退する年齢ではない。これからもますます頑張って欲しい。

◆本田あきこ参議院議員

 今回の藤垣先生のご受章は奥様やご家族の強いアシストの賜である。お会いする度に藤垣先生から温かい声をかけて頂いて頑張っておられる方も多いと思う。皆様のますますのご健勝を祈念したい。

◆渡嘉敷奈緒美前衆議院議員   

渡嘉敷氏

 東京から大阪での落下傘候補として来た時、初めて藤垣先生とお会いした。その時、昭和大学薬学部の先輩と知り、 大変心強く思った。健康サポート薬局拡大を藤垣会長にお願いした時、見事に増やして頂いた。厚労省も新しい試みは大阪府薬を手始めに依頼するようになり、薬剤師が大阪から変わっていく流れができた。今、乾会長が、薬剤師のワクチン接種研修会を全国に先駆けて行われている。私も、また国会議員に返り咲くことが藤垣先生への恩返しだと思っている。

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