シンポジウム「生と死をみつめて」に参加して
2021年10月31日(日)、完全ウェブ開催の第24回近畿薬剤師会学術大会に参加しました。要旨集からプロブラムを選び登録し、PCから講演を聴きました。最初に東京大学名誉教授 養老孟子氏の特別講演~「バカの壁」をもう一度読み返す~、次に姫路赤十字病院 肝臓内科部長 多田俊史氏の「肝細胞癌の最近の話題」中外製薬の共催セミナーを聴き、最後にシンポジウム「生と死をみつめて」に参加をしました。
今回は、3人の演者で構成されたシンポジウム「生と死をみつめて」について書かせていただこうと思います。
最初は、玉置妙憂さんのお話です。専修大学法学部卒業後、法律事務所で働かれましたがご長男に重度のアレルギーがあることがわかり、「息子専属の看護師になろう」と決意し、看護学校で学び看護師、看護教員の免許を取得されました。
ご主人の闘病生活で「がんを積極的に治療しない」方針を選択され、自宅での介護生活では延命治療を望まなかったため、自宅で看取られました。その際に、どうしても科学だけでは解決できない問題があることに気づかれ、“自然死”という死にざまがあまりに美しかったことから開眼し出家。高野山にて修行をつみ高野山真言宗僧侶となられました。
かつては「食べられなくなったら、飲めなくなったら、終わり」と分かりやすくシンプルであった「死」について、医学が進歩した現代では命を続けるための選択肢が加わり、「天」だけでなく本人や家族の選択が入り、生と死の境はずっと複雑になりました。
その分命の存続を左右する決断を強いられた時、言い難い苦悩や悲嘆を伴うこととなります。この辛さをスピリチュアルペインと呼びます。スピリチュアルペインを持つ人の心に寄り添うことが必要です。
これからの時代には、スピリチュアルケアが特に大事になっていくことでしょう。しかし、EBMを基盤としてきた医療従事者にとってはスピリチュアルペインに向き合うことは決して容易なことではなく、実施していくにおいては準備や心構えが必要となります。「まず、あなたのコップを満たしましょう」。他著書では医療と宗教の間のケアの必要性についても紹介されています。
次は、ノンフィクション作家佐々涼子さんの「看取りのプロが遺した幸福になるヒント」のお話しです。佐々さんは、在宅医療の取材をすることで、家にいながら終末期を過ごす人の人間模様を見て来られました。
病院では、24時間患者としてふるまうことが求められ、一方在宅医療は患者の人生のごく一部となります。家族といっても環境がちがうし、独居の場合などかえって在宅では孤独を強いられることもあります。
ご自身のされてきた取材を通して、いざ自分が終末期を迎えた時に、病院がいいのか、家がいいのか、容易には結論がでなかったそうです。自分の子どもたちの手を借りるとしたら、自分は幸せだろうか、医療をこえた本質的な幸福についても考えを問い直すきっかけとなられたそうです。
そんな時に、これまで多くの人を訪問看護されてきたご友人がすい臓がんステージ4とわかりました。彼は在宅療法を選択し、医療や看護からもなるべく離れ、スピリチュアルに傾倒したりしながら、終末期を迎えられたそうです。
その様子を見ながら「幸福な過ごし方のスタンダード」などないことに気付かれたそうです。「私たちは『生きてきたように死ぬ』。様々な生き方と同時に終末期の選択も一律でなくて構わない。死ぬまでの時間をどう生きるかを考えるのに参考になるのは、先に逝く人の生きざまであり、無くなりようであるのではないでしょうか。
「先に逝く人は、悲しみと同時に幸福もおいてくださっています」とこれからも講演を続けていく熱意をお話しくださいました。
最後の神戸新聞社編集局報道部記者の中島摩子さんのご講演は、お仕事の関係でメッセージの代読となりました。
中島さんのお話を伺いながら、自分の経験や患者さんとのこと、あるいは普段の読書に学んだことを思い出し、共鳴する部分を多く見出だすことのできた講演でした。
生と死についてのテーマは大きく、医療従事者としてはこれまであまり語り合うことのなかった、しかし知らぬ顔をしておくことのできないテーマだと思います。今できることとしてまず、医療に携わるものとして心身ともに健康であること、多くの勉強をして知識を多く持つこと、患者さんの時間と心に寄り添うこと、そして在宅医療での自分の役割に工夫を加えてチームとして向上することをしていこうと思います。
気付かぬうちに自分のことばかり考えてしまう自分のわがままなところを、改めていくいい機会であると思い、このシンポジウムの開催に感謝いたしております。
薬剤師 宮奥善恵