【前編】第23回くすり文化 ーくすりに由来する(or纏わる)事柄・出来事ー 八野芳已(元兵庫医療大学薬学部教授 前市立堺病院[現堺市立総合医療センター]薬剤・技術局長)

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(2)-6-2:中世期吉野室町時代(13341573) を含む)

「健やかに生きるための生活習慣:医食同源養生訓

 吉野室町時代は、日本における時代区分では「中世期」にあたっている。また、西洋においても、ヨーロッパでの中世は、紀元500年から1500年ころとされていて、概ね、時代区分的には洋の東西では符号しているようである。  さて、時代区分が「古代」から「中世」になる中で健やかに生きるための生活習慣としての「医食同源、養生訓」といった「日常生活での健康維持、健康志向」に役立つ指針、教えがどう構築されていたのかを西洋の動きも含め調べてみたいと思う。その時代背景の中で、時代区分についてはいろんな分け方があるが今回は「滋賀のあゆみが分かる歴史年表」を基に考察する。

【時代区分】参考:滋賀のあゆみが分かる歴史年表

・原始時代(紀元前~紀元後100年):旧石器時代、縄文時代、弥生時代前半

・古代(100~1185年):弥生時代後半、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代

中世(1185~1573年):鎌倉時代、南北朝時代、室町時代(戦国時代)

・近世(1573~1867年):安土桃山時代(戦国時代)、江戸時代

・近代(1867~1945年):明治時代、大正時代、昭和時代前半(1926-1945)

・現代(1945年~現在):昭和時代後半(1945-1989)、平成時代、令和時代

一般に「中世」とは、平安時代後期(11世紀後半)から戦国時代(16世紀)にいたるおよそ500年間をさしている。 この長期にわたる中世は、政権担当者あるいは所在地によって、中世前期(院政-平氏-鎌倉時代)と後期(南北朝-室町-戦国時代)に分けられる。

*中世ヨーロッパの年代はいつからいつまでですか?中世とは紀元500年〜1500年頃のこと。近代のように台所の設備や調理器具が大きく発展する前の料理ですから、「味付けや見た目」 「栄養バランス」という観点で見ると、現代人からは粗野だと評価されてしまうのかもしれません。

【医食同源、養生訓】

1.医食同源:医食同源について、次のような話、記述が出ている。

(1)「昔からよく“医食同源”って・・・」 当然、古く中国から伝わる言葉であると 思ってしまうわけですが・・・・・。しかし、よく考えてみると、中国古来とは三千年も四千 年も昔のこと、現代社会のように飽食によって病気が起こるなんてことはまずなかった時代 に、医食同源的な思想は起こらなかったのではないでしょうか。実際、“医食同源”あるいは “薬食同源”といった言葉は、東洋医学の古医書には見当たらず、食は命を養うものであって、病気を治すのは薬であると記されていたようです。昔の中国における医と食の関係は、例 えば「肝臓を食すと肝臓に効く」「心臓を食すと心臓に良い」といった漢方的な考えが主流で あって、食事で病気を治すという考えはほとんどなかったようです。 では、“医食同源”はいつどこで生まれた言葉なのでしょうか? 正解は1972年の日本においてということになります。当時、NHKで放送されていた料理番組で、臨床医であった新居裕久先生が発表された言葉であり、先生は「薬(生薬)も食も同じ源、日常の食事で病気を予防、治療

しましょう」と言いたくて、この言葉を思いついたと述べられています。現在のわが国と同様、中国においても糖尿病の患者さんは激増しており、今や“医食同源”という言葉は、発想の元となった中国へ逆輸入されていると聞きます。この飽食の時代、“医食同源”をより心掛けた診療がますます必要となってきているのではないでしょうか。

In 〜 日本で生まれた言葉 “医食同源” 〜 臨床糖尿病支援ネットワーク https://www.cad-net.jp › mano › uploads

(2)in健康長寿ネット:公開日:2016年7月25日 14時00分更新日:2023年12月27日 13時57分 医食同源とは1):病気を治療するのも日常の食事をするのも、ともに生命を養い健康を保つためには欠くことができないもので、源は同じだという考えです。古くから中国にある、体によい食材を日常的に食べて健康を保てば、特に薬など必要としないという薬食同源の考えをもとにした造語とも言われています。

(3) inフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:名称と歴史[編集] 「医食同源」という言葉は中国の「食薬同源」の思想が1973年で日本に伝われた時、日本人が作った造語である。「医食同源」は2000年代から発想の元になった中国へ逆輸入されている。□□初出は1972年、NHKの料理番組『きょうの料理』の特集「40歳からの食事」において、臨床医・新居裕久が発表したもの(NHK「きょうの料理」同年9月号)。これは健康長寿と食事についてのもので、中国に古くからある薬膳の「食薬同源」を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、「薬」の漢字を「医」に代え、拡大解釈したものであると新居裕久は述懐している[1]。□□また、同年の1972年12月に『医食同源 中国三千年の健康秘法』(藤井建著)が出版されているが、これは前出の「医食同源」の語彙を転用したものである。その他の使用例では、朝日新聞の記事見出データベースの初出は1991年3月13日であった。また広辞苑では第三版には無く、1991年の第四版から収載されていた[2]。□□以上のことから考えると、この「医食同源」という言葉は1990年前後にはすでに一般で使われており、その思想も健康ブームなどにより、広く受け入れられてきたものと考えられる[3]

(4) in真柳誠「医食同源の思想-成立と展開 」『しにか』9巻10号72-77頁、1998年10月医食同源と薬膳の語源:最近の大型国語辞典の多くに、医食同源は中国の古くからの言葉などと書いてあるが、出典を記すものはない。一方、新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏は、一九七二年のNHK『きょうの料理』九月号で中国の薬食同源を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したと述懐している(2011,2,1追記:新居氏が薬食を医食に書き間違えた、という珍説もある。もし珍説どおりなら、『管子』牧民の「衣食足則知栄辱」に由来する衣食足りて礼節を知るの「衣食」は、中国語も日本語も医食と同音につき、新居氏が書き間違えた可能性を推測していい。また現在の中国でも医食同源を使うことがある背景ではなかろうか)。これに興味をおぼえて調べたが、やはり和漢の古文献にはない。朝日新聞の記事見出データベースでみると、なんと初出は九一年三月一三日だった。『広辞苑』でも九一年の第四版から収載されていた。 国会図書館の蔵書データベースでは、七二年刊の藤井建『医食同源 中国三千年の健康秘法』が最も早く、のち「医食同源」をうたう書が続出してくる。藤井建氏は私も会ったことがある蔡さんという香港人で、さかんに中国式食養生を宣伝していた。すると新居氏と蔡氏の前後は不詳だが、医食同源は七二年に日本で出現した言葉に間違いないだろう(2002, 10, 5追記。新居氏から資料をいただき、蔡氏の書は同年12月刊だったこと、同書を出版した東京スポーツ新聞社の編集者・川北氏が「医食同源」の語彙を蔡氏の書に転用したことが分かり、やはり新居氏の造語だったことが了解された。なお1972年は高度成長期の後半で、飮食にも各種弊害が出現したため、この造語が急速に普及したのだろう)。

薬膳も近年になって流行した用語で、日本語にも定着した。ただし由来はほとんど知られていない。薬膳の用例は『後漢書』列女伝の程文矩妻の一節に初出するが、煎薬を配膳する意味でしかなかった。現在の意味で使用した最初は、北京中医薬大学の翁維健氏が八二年に出版した『薬膳食譜集錦』だったと本人が述べている。のち薬膳を称し、むやみに生薬を料理に加えて効能をうたう風潮が生じた。困惑した翁氏らは医療機関における伝統的食事療法を中医栄養学、一般社会の保健食を功能食品と呼び分けるよう提唱しているが、ひとり歩きしはじめた薬膳の意味は当面消滅しないだろう。
(5)In 健康食品との上手な付き合い方 – 神奈川県ホームページ神奈川県ホームページ https://www.pref.kanagawa.jp › files › eiken_news210

健康食品との上手な付き合い方 2022年5月発行「医食同源」という言葉を知っていますか。広辞苑によると「病気をなおすのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためで、その本質は同じだということ。」とされています。

では、医薬品と食品はどこで袂が分かれ、区分されるのでしょうか。どうやって境界線が引かれているか、また、誤解されるおそれがある健康食品について、その種類及び注意するべきことを紹介します。食品と医薬品:食品衛生法では「食品とは、全ての飲食物をいう。ただし、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下、薬機法)に規定する医薬品、医薬部外品及び再生医療等製品は、これを含まない。」とされています。つまり口から体に取り入れるものは食品か医薬品等かということになります。□□また、医薬品は薬機法で「人の疾病の診断、治療又は予防に使用されることが目的とされている物、人の身体の構造又は機能に影響を及ぼすことが目的とされている物」等とされています。そのため、食品であるにも関わらず病気の治療等を目的とすることは、その境界線を越えてしまうことになります(図1)。

図1 医薬品と食品の境界線

一方で、医薬品の「効能・効果」ではありませんが、一定の「機能」を表示することが認められている保健機能食品があります。保健機能食品と注意点:保健機能食品とはその名のとおり一定の機能をもつ食品で、特定保健用食品、栄養機能食及び機能性表示食品の総称です。医薬品ではないので、その機能は病気の治療等を目的としてはおらず、健康が気になるというような方が対象の食品です。□□特定保健用食品(トクホ)は、生理学的機能などに影響を与える保健機能成分が含まれ、特定の保健の用途に資する旨が表示されます。その有効性及び安全性は消費者庁にて個別に審査されます。同じ保健機能が表示されていても、成分により作用機序が異なるため、製品パッケージやメーカーホームページで摂取方法や注意事項などを確認することが重要です。□□栄養機能食品は、ビタミンやミネラルなど健康の維持に重要な特定の栄養成分を補給するための食品で、商品ではなくその栄養成分の機能を表示することができます。特定保健用食品と違い消費者庁による個別の審査はなく、定められた基準を満たしていればその表示が可能になります。一日の摂取目安量や注意事項の表示義務がありますので、必ずその内容を確認するようにしてください。また、栄養機能食品と表示しながら、定められた栄養成分以外に他の成分を入れて、その成分をメインに広告している製品も見受けられます。栄養機能食品として配合された成分を確認するよう心掛けましょう。
機能性表示食品は保健機能食品の中では最も新しくできた制度で、2015年から運用されています。それまで機能を表示することができるのは、特定保健用食品及び栄養機能食品に限られていましたが、機能性表示食品も科学的根拠に基づいた機能を表示できるようになりました。国の審査がなく、事業者の責任で科学的根拠を基に正しい情報提供が行われることが前提となっています。□□これら保健機能食品を利用する場合は医薬品との飲み合わせにも注意する必要がありますので、薬局、パッケージ又は消費者庁ウェブサイト等で正しい情報をよく確認し、理解して使用することが大事です。□□これらの他にも世の中に流通している食品類を見ると「栄養補助食品」、「サプリメント」などと表示されている、いわゆる健康食品を多く目にします。

健康食品と注意点:「健康食品」はよく耳にする言葉ですが、実は法律上定義されておらず、国に認可された制度はありません。したがって、今まで述べてきた医薬品のような効能・効果はもちろんのこと、保健機能食品以外は含まれている栄養の摂取が目的で、「機能」をうたうことはできません(図2)。しかし、医薬品と混同し、医薬品的な効能効果を期待する消費者もいます。そのような消費者を対象に、虚偽・誇大表示を行っている事業者は多く、又、商品は数多くあり、消費者庁による改善要請等がなされています。

図2 医薬品と食品の分類

また、残念なことにいわゆる健康食品の中には違法に医薬品成分を添加した商品が海外及び国内で数多く報告されています。医薬品成分が添加された商品はいくら「食品」と称していても境界線を越えて「医薬品」として区分され、違法な無承認無許可医薬品となります。適正に製造販売されている医薬品と比べ、安全性の確認や徹底した品質管理がされておらず、過去には死亡事例も含めた多数の健康被害が報告されているなど、とても危険です。また、仮に使用によって一時的な症状の改善があったとしても、本来の受診機会の喪失により適正な治療を受けられないことも危惧されます。なお、発見された無承認無許可医薬品の中には、医薬品としての使用実績のない有効性・安全性が未知の構造類似成分や開発が中止になった成分が添加されるなど、より危険な事例も報告されています(図3)。

図3 承認医薬品成分であるシルデナフィルと構造類似成分の例

神奈川県衛生研究所における取組と安心して使用するために

当所では医薬品的効能効果を標榜する商品の排除と医薬品成分を添加した無承認無許可医薬品の流通防止のため、健康食品として流通している商品の検査を実施しています。また、より迅速かつ正確な試験検査が実施できる体制を整えるため、検査方法等について調査・研究しています。これまでにも違法な医薬品成分や構造類似成分を含む複数の無承認無許可医薬品を確認し、流通防止対応を行っています。そして、これら調査等で得られた情報を含め、出前講座等を通じて健康食品の注意点や無承認無許可医薬品の危険性などの情報を提供し、皆様に注意喚起を行っています。

医薬品も食品もその本質は生命の維持・健康のためですが、健康食品を使用する目的や付き合い方を一歩間違えてしまえば逆に健康被害につながってしまいます。本当に必要な商品を見極めて購入し、症状によっては医療機関への受診を選択するなど、正しい知識・情報を得て付き合うようにしましょう。

【参考リンク及び文献】注:リンクは掲載当時のものです。リンクが切れた場合はリンク名のみ記載しています。

厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト 特保(特定保健用食品)とは?

厚生労働省 いわゆる「健康食品」のホームページ

消費者庁ホームページ 機能性表示食品について

消費者庁ホームページ 健康増進法(誇大表示の禁止)

神奈川県ホームページ 医薬品成分を含有する製品の発見について

(理化学部 岩橋 孝祐)

2.養生訓:養生訓について、次のような話、記述が出ている。

(1)in 健康長寿ネット:養生訓 公開日:2019年7月30日 09時00分更新日:2024年2月15日 14時30分  江戸時代の健康で長生きするためのバイブルともいえる医書の「養生訓」(1712年)は、当時のベストセラーであり、現在でもその考え方や精神は今日の一次予防につながるものとして注目され続けています。□□貝原益軒の「養生訓」とは、江戸時代を生きた儒学者※1であり、医者でもある貝原益軒(かいばらえきけん)によって、健康で長生きするためのエッセンスが書かれた書物です。養生訓は貝原益軒が83歳の時に書かれた本だといわれています。江戸時代の人々の平均寿命は40歳を下回っていましたが、その時代に、貝原益軒は85歳まで生きました。最期まで認知症や寝たきりになることなく生涯を全うした、まさに健康長寿を体現した人物です1)

(2)養生訓 inフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

養生訓

養生訓』(ようじょうくん)は、正徳2年(1712年)に福岡藩儒学者貝原益軒によって書かれた、養生健康健康法)についての指南書。益軒83歳の著作で、実体験に基づき健康法を解説した書である[1]。長寿を全うするための身体の養生だけでなく、精神の養生も説いているところに特徴がある。一般向けの生活心得書であり、広く人々に愛読された[1]

現代でも岩波文庫中公文庫講談社学術文庫など多くの出版社や原文付き現代語版や口語訳、解説書などが出版されている。ジョージ秋山による漫画化や、海外向けの英訳もなされている。

構成[編集]第一巻 総論上儒教思想に基づき、養生の目的と意義を述べる[2]

第二巻 総論下:運動・栄養・休息に過不足なく生活することを奨める[2]

第三巻 飲食上第四巻 飲食下:3巻・4巻では、控えめな飲食の方法および喫煙の害を説く[2]。 第五巻 五官:五官(耳・目・口・鼻・形)の機能を説き、口腔衛生の重要性を述べる[2]。 第六巻 慎病:「医は仁術なり」の記述で知られる。病にならないように養生し、かかる医者は吟味することを奨める[2]。 第七巻 用薬:薬の効能と害を説く[2]

第八巻 養老:老後の過ごし方を説く[2]

養生訓に見られる健康観[編集]

孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられている。 道を行い、善を積むことを楽しむ 病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ 長寿を楽しむ。 また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されている。まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢する。

あれこれ食べてみたいという食欲 色欲 むやみに眠りたがる欲 徒らに喋りたがる欲 さらに、季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調の管理をすることにより、初めて健康な身体での長寿が得られるものとする。これらすべてが自身の実体験で、益軒の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都など物見遊山の旅に出かけるなど、仲睦まじく長生きしたという。こうした益軒の説くことは、今日の一次予防に繋がるものである。[独自研究?]

(3)サレルノ養生訓 In特集「『サレルノ養生訓』から知る健康増進法 」 | 岡三証券

特集「『サレルノ養生訓』から知る健康増進法 中村 浩子 -2022年12月23日

#健康 (6)#Adesso (60)#生活習慣 (1)#医食同源 (1)#食事 (2)

*[11世紀末、南イタリアにあったサレルノ医学校による「サレルノ養生訓」には、食生活を中心に、健やかに生きるための生活習慣がラテン語の詩で綴られている。後世になって、様々な国の言葉に翻訳され広く知られるようになった。その教えは古代ギリシャの食に対する哲学を引き継ぐものであり、現在もイタリアを中心とする地中海沿岸諸国の食文化に反映されている。]

サレルノにあるミネルヴァ庭園。
ポンペイの遺跡で見つかった居酒屋のワイン壺

古代ギリシャ時代から現代へ伝わる「医食同源 南イタリアのポンペイは、火山の噴火により一日にして灰に埋まった街だ。紀元一世紀のことである。 古代ローマ帝国の都市のひとつだったポンペイの遺跡からは、驚くような食の遺産がたくさん見つかっている。壁に絵が描かれた居酒屋に並ぶワインの壺。小麦を製粉していたと見られる石臼。つぶしたような形の平たいパン。 このことから現代の地中海式食事につながる食文化が、古代ローマ時代にはじまったと考える人は多いだろう。ところが、ポンペイほか南イタリアの街の大半は、古代ギリシャの植民都市だった。近くの大都市ナポリも、もとは「ネアポリス=新しい都市」と呼ばれた古代ギリシャの植民都市である。だから、古代ローマの食文化と一般に思われているワイン用ブドウ栽培やオリーブ栽培は、実は古代ギリシャから伝えられていたのだ。 古代ローマ帝国の兵士たちが土木建築に秀で、橋や道をわずかな日数で造りあげたそのバイタリティは、「医学の祖」と呼ばれた古代ギリシャの医師ヒポクラテス(紀元前四六〇年頃~三七〇年頃)が唱えた「医食同源」を食生活で実践していたからかもしれない。 ヒポクラテスは、人には四つの体液(血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁)があると考えた。それぞれが温性か冷性、乾性か湿性の性質をもち、体内でそのバランスがとれたときが健康。季節や環境の変化によってバランスが崩れたときに病気になると説いた。 さらにヒポクラテスは、「医師と料理人の目的は同じである」とも言った。医師は病人に合った食事を考えて健康回復をめざし、料理人は健康な人が消化できるような食事を考えて健康維持をはかる。この考え方が西洋においては「医食同源」のはじまりだった。 彼が唱えた「医食同源」は、はるか古代ギリシャ時代から古代ローマ、中世から現代へと伝えられてきたのである。

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