道修町薬種中買仲間公認300年 神農祭 22、23日 大阪・少彦名神社で 少彦名神社宮司 別所 賢一

左から塩野元三薬祖講講長、別所賢一宮司

 本年も、塩野義製薬名誉顧問である塩野元三薬祖講講長を筆頭に、祭典委員長として小城製薬代表取締役社長小城忠明様、副祭典委員長に米山薬品工業取締役会長森康誠様にお願いし、賑々しく神農祭を斎行申し上げます。
 少彦名神社は、1780年に、薬種中買仲間で組織する伊勢講が京都の五條天神宮から日本の薬祖神である少彦名命の分霊を仲間会所に勧請し、中国の薬祖神である神農氏と共に合わせ祀ったのが始まりとされています。
 8月25日には、大阪医薬品元卸商組合の系譜となる「薬種中買仲間」が江戸時代に公認され、300年が経過したことを祝して関係者らが参列して「道修町薬種市場公認300年祭」を執り行いました。
 道修町の薬種中買仲間は1722年以降、江戸時代を通して、唐薬、和薬の集荷と販売を一元的に担った組合組織でした。その少彦名神社は、組織の信仰の要であるだけでなく、組合の会所が置かれ、経済活動の中心でもありました。株仲間は124と少数でしたが、1791年に結成され、別家や分家が加入する神農講の人々を仲間の内として結束を図っていきました。
 1873年に新政府の方針で、株仲間は解散しましたが、組合組織は薬種商組合として再生。近代化を図った薬種商組合が、少彦名神社の維持運営にあたる講組織を改めて組織化したのが薬祖講です。薬祖講は、道修町に根ざした薬種商たちの精神的な支柱、信仰上の核として、少彦名神社を新たに位置づける機能を果たしました。
 「薬祖講」は江戸時代から行われていた伊勢講を基盤とし、1884年に結成されたもので、講員から5-6人を選び世話・出納係とし、神農祭の次第を定めています。現在は薬業関係者約350社が会社単位で薬祖講に加入し、神農祭と冬至祭に体現される独自の講行事を行っています。
 神農祭は、薬祖神に対する祭礼であり、少彦名神社を支える薬祖講にとって最も重要な行事です。1872年までは9月9、10日に行われていましたが、新暦の移行やコレラの流行による祭礼延期の影響もあり、変動の後、1877年に11月22、23日の実施となり現在に至っています。また冬至祭は12月22日に行っており、神農祭のお礼祭りとも称されます。
 神農祭は、文政5年(1822年)に大坂でコレラが流行した時、薬種仲間が疫病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を作り、合わせて「神虎」のお守りも作って神前祈願の後、施与したことに由来するそうで、今年で200年目を迎えることとにもなります。
 現在、神農祭は、薬祖講の講員からなる祭典委員会が中心となって運営。祭典委員会は委員長1人、副委員長1人、委員18人からなり、委員長と副委員長は薬祖講の評議員約40人の中から選出され、委員18人は薬祖講に加入している会社の総務関係の管理職から選出されます。薬祖講は、このほかに、かつて株仲間の行事交代の場でもありました。
 毎年祭礼を実行する祭典正副委員長、委員は日本の古来より村々で行われてきた「当屋、頭屋、年番神主」と言われる、ある種特定の家が務める制度を、現在でもこの都会の真ん中で行っていることが珍しく、2007年4月に大阪市無形文化財に指定されています。
 近年は、参拝者も年々増加の一途をたどり、現在は6万人を超えています。また、医師・薬剤師国家試験および医学部・薬学部合格祈願の奉納絵馬は全国から6000枚を超えるまでに至り、当神社の崇敬を物語るものとなっています。
 今回もコロナ禍の折、疫病退散の祭り「神農祭」を祭典委員会で協議して昨年に策定しました「神農祭 新型コロナウイルス対策ガイドライン」を遵守しながら、お祭りを斎行することとなります。

3年振りに道修町通の露店、ゆるキャライベント復活

3年ぶりにゆるキャライベントも復活!

 ただ今年は、コロナ禍も小康状態であることから、3年振りに、道修町通りの露店も復活し、大阪家庭薬協会のくすりのゆるキャライベントも開催する運びとなりました。

森下竜一教授


 大阪・道修町の神農祭市民公開講座は、森下竜一大阪大学大学院医学系研究科寄附講座教授を講師に迎え、「アフターコロナと2025大阪・関西万博」をテーマに無観客で開催し、後日、医薬通信社のご協力を得てYouTube配信致します。
 同講座では、森下先生がコロナ治療薬も含めた健康長寿社会の未来像や、2025大阪・関西万博の進捗状況についてお話しされます。
 今年は寅年です。薬業界の皆様には疫病退散の「張り子の虎」をお受けいただければ幸いです。

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