私は、武道や茶華道など、日本の文化を学ぶ中で、生きて行く所作の美しさを体現される、幾人もの師に触れてきました。例えば、先代の柳生新陰流兵法21世宗家の柳生延春師範は、歩いているだけで風格と美しさが漂う方でした。私が宗家の命で関西柳生会を立ち上げた時、会員の会費から宗家の交通費をお出ししようとしました。宗家は、「日本の伝統文化を伝えて行こうとされる皆さんの行いは、私が感謝しなければならないことです。」と言われ、毎月自費で大阪までお越しになり、指導をして行かれました。どんなに若い学生さんや初心者に対しても「私とあなたは生命のかかった存在としてフィフティフィフティだ。押しもしないし押されもしない。」と言われ、全てさん付けで呼ばれました。
今問題となっている日本学術会議、経営者、政治家などの問題は、押し並べて生きて行く美しさが失われた結果生じていることではないでしょうか。自分たちの仲間内で先生、先生と呼び合ってサロンを作り、特権階級のように振る舞い、国から補助金や優遇を受けるのが当然だと主張する。
学問の自由、世界の平和、国益に資するなどの美辞麗句が多くの国民に響かないのは、これらの方々に対し、生きて行く美しさを感じないからです。今一度、日本文化の根底にある、純粋素朴な美しさに立ち返るべきではないでしょうか。