

(2)-7:江戸時代(1603-1867)-No.6
[江戸時代の病気、治療、くすり]
[資料1] AI による概要
江戸時代の病気治療は、「漢方薬(生薬)の調合による内服」、「養生(生活改善)」、「鍼灸」、そして幕末には「蘭方医学(西洋医学)の知見」が取り入れられました。薬は「さじ加減」で調合され、庶民は神社仏閣への参拝やお札(おふだ)など、神頼みで病魔を追い払う傾向もありました。 歴史人 +4
江戸時代の主な病気と治療法
漢方治療(主流): 医師は漢方医が主流で、薬種問屋から購入した生薬を百味箪笥(ひゃくみだんす)から取り出し、患者の症状に合わせて「さじ加減」で調合しました。
家庭薬・民間薬: 暑気あたりや霍乱(かくらん、急性の胃腸炎)には、各地の有名な「薬」が旅の土産として人気でした。 傷・皮膚病: 紫雲膏(しうんこう)のような、紫根(しこん)、当帰(とうき)、ごま油、黄蝋(おうろう)、豚脂(とんし)を配合した膏薬が長く使われました。 感染症対策: 天然痘(疱瘡)は、幕末になると牛痘接種(種痘)が普及し、劇的に改善しました。コレラ(コロリ)が流行した際は、手洗いや換気が呼びかけられました。 神仏頼み: 病気は「病鬼」がもたらすと考えられ、加持祈祷(かじきとう)や武者絵を門口に貼って疫病退散を願いました。 歴史人 +6
医療の特色
高額な治療費: 医師の治療費は「薬礼(やくれい)」と呼ばれ、大変高額な謝礼でした。 薬草の栽培: 幕府や諸藩は「薬園」を設け、貴重な薬草を栽培しました。 蘭方医学の導入: 18世紀後半以降、解体新書に代表される西洋の医学書や治療法が研究されるようになり、幕末には緒方洪庵の適塾などで実践的な西洋医療が教えられました。
In 【江戸時代の生活の知恵】薬草で民間療養?伝統的な健康法っ …
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江戸時代の医療の全体像

画像:歌川広重『江戸名所 大伝馬町大丸呉服店の図』(1847~1852年頃) 山口県立萩美術館・浦上記念館 所蔵
江戸時代の医療の基本構造
江戸時代の医療は、現代とは大きく異なる体制で成り立っていました。
都市部では診療所や薬局が点在し、町医者が中心的な役割を果たしていました。一方、地方では、行商や旅回りの医者が多くの地域に医療サービスを提供していました。この時代、西洋医学の知識が徐々に伝わり始め、和洋折衷の医学が形成されつつあった時期でもありました。
医療従事者と患者の関係
江戸時代の医療従事者は、主に町医者や薬士、民間療法師などが中心でした。特に町医者は、地域社会における信頼度が高く、多くの患者からの相談を受け付けていました。
一方、患者たちは病気や怪我に対する知識が限られており、医療従事者の指示や助言を頼りにしていました。この時代、病気は「気」や「邪気」が原因とされることも多く、その治療法も多岐にわたっていました。
薬草と薬
薬に関しては、多くの場合、薬草を基にした自然療法が中心で、薬士や薬屋がこれを提供していました。特に、中国から伝わった漢方薬が主流であり、その効能や知識は町医者や薬士によって世代を超えて伝えられていました。 また、江戸時代は「売薬」が盛んだった時代でもあります。売薬とは、薬商人が街頭で販売する薬のことです。売薬には、漢方薬だけでなく、さまざまな民間療法に基づく薬も含まれていました。
具体的には、以下のようなものが薬として販売されていました。
漢方薬:葛根湯、桂枝湯、五苓散など
民間療法に基づく薬:うがい薬、はちみつ、生姜、煎茶など
呪術的な薬:お守り、お札など
江戸時代は、薬の製造や販売が規制されていた時代でもあります。そのため、薬として販売されるものは、一定の基準を満たしたものに限られていました。
江戸時代の民間療法とその文化的背景

画像:歌川国輝 東都本町弐丁目ノ景 弘化(1844~48)頃 国立歴史民俗博物館蔵
民間療法の特色と日常への取り入れ方
江戸時代、特に地方や農村部では、医療施設や医師へのアクセスは非常に限られていました。そのため、民間療法は日常の中で非常に身近な存在となり、多くの人々に受け入れられていました。 その治療法は、主に自然療法の考え方をベースにしており、自然界から得られる薬草や食材を用いた方法が多かったのです。 季節ごとの体調管理や、生活習慣病の予防など、現代にも通じる健康観が、この時代から根付いていました。
民間療法師の存在とその文化的背景
民間療法師は、江戸時代の地域社会において非常に大切な役割を果たしていました。
都市部には医療施設が存在していたものの、農村部では彼らが中心的な存在として医療を提供していたのです。 彼らは地域の伝統や祭りと関連しながら、薬草の知識や治療方法を伝えていました。また、それぞれの地域の風土や生活習慣に合わせて、独自の治療法を持っており、これが地域ごとの伝統や風俗として受け継がれていました。
日常のセルフケアと民間療法師の教え 民間療法師が提供する知識や治療法は、多くの人々の日常の中でのセルフケアとして実践されていました。 季節ごとの体調管理の方法や、日常の小さな不調を整えるためのアドバイスなどが、身の回りの自然のものを活用して行われていました。
特に、冷え性や風邪の初期症状への対応として、生姜や山椒を用いた食事法が広く知られ、日常生活の中で取り入れられていたのです。 このような日常的なセルフケアの方法は、民間療法師から学ばれることで、家庭や地域で代々守られてきました。
江戸時代の薬草文化とその日常への活用

画像:「東都名所」(喜鶴堂版)
日常に根ざした薬草の役割と利用
江戸時代の日常生活は、薬草と深く結びついていました。
都市から農村、山間部まで、その効能や利用法に関する知識は、貴重なものとして各家庭で代々受け継がれてきました。病気や怪我の初期対応として、すぐに手に取れる薬草が活用されていたのです。 都市部では、公的な医師や病院が存在していましたが、医療のアクセスがまだ限られていた江戸時代。地域によっては民間療法師や薬草商が主要な健康のサポートを担っていました。 このような背景から、薬草を活用する文化は日常の中で自然に浸透し、季節の変わり目や特定の症状に合わせた薬草の選び方、利用方法が家庭ごとに伝わっていったのです。
伝統的な薬草利用の背景と漢方医学
江戸時代の薬草利用は、その土地土地の伝統や風土に基づいて形成されていましたが、同時に中国から伝わった漢方医学とも深く結びついていました。
体調や季節、さらには体質に合わせて薬草を選ぶという考え方は、漢方医学の基本的な考え方とも重なっています。 漢方医学は、複数の薬草を組み合わせて一つの処方とすることで、その効果や効能を最大限に引き出すという特徴を持っています。 例えば、ある症状に対して複数の薬草が組み合わせられることで、その効果が相乗し、より効率的な治療が期待されるのです。 このような背景から、江戸時代の人々は漢方の考え方を取り入れつつ、自らの生活や環境に適した薬草の利用方法を日常に取り入れていました。
薬草の取り扱い、保存、文化の継承薬草の効果を最大限に引き出し、長期間保存するためには、適切な取り扱いと保存方法が不可欠でした。 江戸時代の人々は、薬草の特性や季節、気候などを考慮しながら、最適な方法で薬草を収穫し、保存していました。例えば、乾燥させる場合は、日陰で風通しの良い場所に吊るして自然乾燥させる方法が主流でした。 また、都市部には専門の薬草商が存在し、薬草の取り扱いや保存のノウハウを持っていました。これらの商人や薬草専門家は、地域の人々から信頼を得ていて、薬草に関する知識や文化を次世代に伝える役割も果たしていました。 このように、薬草の取り扱いや保存の知恵は、日常生活の中で実践され、代々受け継がれてきたのです。
[資料3] 医薬関係番付いろいろ
江戸時代になると、庶民でも薬を購入したり、医師に診察してもらうことが一般的となった。医療の普及にともない、病気に関する知識も広まっていった。当時の川柳には、「はやり風十七屋から引き初め(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まるの意味)」や、「温石で腹の燗する疝気痛み(疝気のために痛む腹を、温石<おんじゃく>という石で温めるの意味)」などと詠まれているが、人々はどのような病気かを理解できたのである。 ― (中略)― 病名は、中国から伝わった医学書ごとに、また日本における漢方医学の流派によっても異なるものがある。さらに幕末から明治にかけては、ポルトガルやオランダ医学を翻訳したり、原音に当て字をして「コレラ」を「虎列剌」と書くようになった。このリストには「コレラ」やそのほか西洋医学的な病名がないところから、江戸時代でも幕末以前に製作されたと思われるが、製作年や製作者は判明していない。
医療技術の不十分な江戸時代にあっては、病気にかかるということが現代よりもはるかに生死に直結する問題であったはずである。しかしリストを見ると、「眩暈之四郎倉々(めまいのしろうくらくら)」、「痢病苦労紙巻(りびょうくろうかみまき)」などと面白く命名されている病気も多い。生老病死に関しての一種のブラックユーモアは、川柳も含めて江戸時代の文化の特徴ともいえるが、このような病気のランキングが当時の人々にどのように受け取られていたのか、知りたいところである。(inもうひとつの学芸員室-江戸の病気ランキング エーザイ株式会社 https://www.eisai.co.jp › museum › curator › column )
[資料4] In 検索「日本国妙薬一覧」 AI による概要:日本国の歴史において、「妙薬」は主に江戸時代〜明治時代に相撲の番付表に見立てて広告(売薬番付)として広く流通しました。現在でも受け継がれている代表的な日本の妙薬(和漢薬・民間薬)の一覧は以下の通りです。 [1, 2]
代表的な日本の妙薬・伝統薬
陀羅尼助丸(だらにすけがん):大和国(奈良県吉野)発祥。修験道によって伝えられたとされる、胃腸薬の代表格。
百草丸(ひゃくそうがん):信濃国(長野県)木曽地方で発達した胃腸薬。オウバク(黄柏)を主成分とする。
奇応丸(きおうかん):江戸時代から小児の疳(かん)の虫、夜泣き、腹痛などに用いられてきた丸薬。
救心(きゅうしん):生薬を配合した、どうきや息切れに効く代表的な強心薬。
紫雲膏(しうんこう):江戸時代に華岡青洲が考案したとも言われる、やけど・ひび・あかぎれに効く赤色の軟膏。

