【後編】第19回くすり文化 ーくすりに由来する(or纏わる)事柄・出来事ー 八野芳已(元兵庫医療大学薬学部教授 前市立堺病院[現堺市立総合医療センター]薬剤・技術局長)

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日本でも最初は薬として飲まれていた

日本でもお茶は最初は薬として用いられたという話があります。日本へのお茶の伝来は平安時代。最澄や空海など中国に留学した僧侶から伝えられました。中国で茶が薬として服用されていたように、当時の日本でも滋養強壮や健康のための飲料として飲まれていたようです。
当時、茶はとても貴重で一般の人は飲むことができませんでした。一部の上流階級が健康のために飲む飲料だったためその文化は広まらず、日本での茶文化は廃れていったといいます。

「養生の仙薬」であるお茶

その後鎌倉時代になると禅僧の栄西が茶種や抹茶の作法を宋から持ち帰り、新しいお茶の時代が日本で始まりました。その栄西が書いた本で有名なのが「喫茶養生記」です。栄西が学んだ茶の知識や効能を集約した茶の専門書で、「茶は養生の仙薬なり」という一文で始まっています。二日酔いになった将軍に栄西が良薬として茶を勧めたところたちまち将軍は回復し、これをきっかけに茶の効能が注目されるようになったというエピソードもあるようです。

<参考>「静岡市 お茶を学ぶ」 「キリン食生活文化研究所 第17回 栄西と茶」

まとめ:お茶の始まりは「薬」だったとあって、お茶の発見と普及には先人の労苦と努力が多くあったことを垣間見ることができます。薬として扱われ、なおかつ高級品だったお茶を私たちが簡単に美味しく楽しめるのは本当にありがたいことですね。現代ではお茶はあくまで嗜好品ですが、健康に過ごすためのひとつのツールとして改めて見直してみたくなります。これから寒い季節を迎えるにあたり、風邪やインフルエンザの流行も気になります。ぜひ毎日の生活に美味しくて健康にもよいお茶を取り入れてみてくださいね。

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文献3in昔はお茶が薬だった?,shinryokuen.co.jp https://shinryokuen.co.jp ›

さらに鎌倉時代、臨済宗の開祖である栄西 (1141~1215年)が執筆した「喫茶養生記」でも、お茶薬として扱われています。 「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」から …昔はお茶が薬だった?

お茶のルーツがどこかということについては、いろいろな研究者が発祥地を探していますが、断定されるまでにはいたっていません。ただ、中国雲南省のシーサバンナ周辺ではないかという説が有力です。□□その中国では、お茶がその昔、薬として使われていたという話があります。□□秦の始皇帝はお茶を「不老不死」の効果があるとして飲んでいたそうです。□□それから時代を経て、後漢ごろに成立したとされる中国最古の薬物書「神農本草経」にも、お茶とその効用が記されています。また、この書名にある「神農」は中国古代神話に登場する帝王の名前で、「毒にあたるも茶で解毒した」という伝承が現代に残されています。これは、後世になって作られた話だそうですが、昔からお茶の健康効果が注目されていたことは確かなようで、医薬や農耕の神でもある神農は、「喫茶の始祖」ともされました。□□それを示す記述が見えるのは、お茶に関する最古の書物「茶経」です。□□お茶の製造方法や飲み方などが網羅されており、唐の時代、760年ごろに陸羽という人物が著しました。□□ただこの時代のお茶は、現代の私たちがよく見るものと様子が違います。□□持ち運びやすいように「餅茶」と呼ばれる固まりとして作られ、飲む際には、この固まりを削って細かくし、煮出したようです。□□唐代には禅が盛んになりましたが、座禅のときの目覚ましの薬としても用いられました。

陸羽は、ほぼ茶葉と湯だけで作る飲み物を世に広く知らしめた人物でもありました。□□「茶経」では、当時よくあった習慣として、茶葉とともに「ネギ、ショウガ、ナツメ、柑橘類の皮、グミ、ハッカなどを用いて煮る」という方法が紹介されていますが、まるでドブ水のようだと酷評されています。□□ほかの資料からも、陸羽の時代より前は、茶は 羹(スープ)の材料として使われていたことがわかっています。□□これと似た飲茶法は、日本の平安時代にあった「季御読経」という仏教行事にも見られます。この中で「引茶」が僧侶にふるまわれるのですが、それは、お茶にアマゾラ (甘葛)、コウボク、ショウガなどを加えたものでした。□□
喉の渇きをうるおすだけでなく、激しい読経などの労をとった僧への栄養補給という意味もあったようです。
時代を経て、中国でも日本でも、茶葉と湯だけで飲む習慣が広がり、さまざまな形を持つ特別な飲み物になっていきます。□□さらに鎌倉時代、臨済宗の開祖である栄西 (1141~1215年)が執筆した「喫茶養生記」でも、お茶は薬として扱われています。
「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」から始まり、臓器の調子を整えるといった効用が記されています。
なお、ここで飲まれていたお茶は、餅茶ではなく、抹茶の原型ともいえるものでした。

以上のように、鎌倉時代までお茶は薬として飲まれていましたが、南北朝時代に入ると、賭け事に使われ始め、室町時代には千利休が大成した「茶の湯」として、大名などのたしなみとされました。□□ちなみに抹茶ではなく煎茶が日本茶の主流となるのは、江戸時代、1738年に永谷宗円という人物がその製法を確立したあとです。□□眠気冷まし兼嗜好品として、庶民にも広まりました。□□現代はお茶の研究が進んで、眠気防止やリラックスの効果、血圧上昇の抑制、抗酸化作用などが指摘されていますが、昔の人は経験則でお茶の効用を知っていたのでしょうか。

文献4in薬としてのお茶 Tea as Medicine (お茶の歴史) groen. Jp https://groen.jp › columns-recipes › ingredients

薬としてのお茶 Tea as Medicine (お茶の歴史) 〜栄養士のColumn Vol. 13(前編)

INDEX:「薬」としてのお茶 お茶の歴史-中国- お茶の歴史-日本- スーパーフードとして

「薬」としてのお茶

日本人の生活に古くから根付いてきたお茶という飲み物。
そんなお茶を「薬」という目線で、その歴史について今回はお話します。

食事を食べるとき。 お菓子を食べるとき。 落ち着きたいとき。 もてなすとき。
日本ならではの「おもてなし」の中にはお茶がいつも存在しているように感じます。

お茶の歴史-中国-

お茶のはじまりは中国。中国の歴史の中で、お茶が登場するのは、「神農」の逸話からとか。
神農は、野草とお茶の葉を食べて解毒をしていたと伝えられていて、この伝説から、お茶の発見は紀元前2700年ごろ、神農時代からと考えられています。□□薬としてお茶が飲まれていたんですね。□□その後、漢の時代の医学書『神農本草経』には、「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」の記述があり、このころからお茶を日常的に飲む習慣があり、主に上流階級に嗜好品として愛飲されるようになっていたようです。

また、三国時代の書物「広雅」によると、お茶は茶の葉を餅状に丸めたものを、あぶって搗き、湯をかけ、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、一緒に煮るスタイルの薬膳スープのように飲まれていたようです。□□唐の時代になると、お茶を飲む習慣は全国に広がり、清の時代では、中国茶葉や茶具はほぼ完成し、茶文化は最盛期を迎えます。福建省では青茶(烏龍茶)が開発され、「花茶」とともに愛飲されるようになったそうです。

お茶の歴史-日本-

一方日本では、中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されています。□□平安初期の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されていて、鎌倉時代になると、臨済宗の開祖である栄西が、中国・宋に渡って禅宗を学び、禅院で飲茶が盛んに行われているのを見聞きしたそうで、帰国後、日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を著し、お茶の効能を説きました。□□「喫茶養生記」の中には、お茶を飲むと心臓が丈夫になり、二日酔いに効き、病気にもかからない「お茶は養生の仙薬なり」と書かれていたとか。□□
日本でお茶が薬用として飲まれていた頃、甘味料のひとつである甘葛を入れたり、生姜で辛味をつけていたようです。□□嗜好用として一般に広まったのは、江戸時代の初期からと聞きます。

スーパーフードとして

そんな「薬」として使われてきた歴史を持つ、お茶という存在。
その中でも抹茶は、昨今スーパーフードとして世界中から注目を集めています。

*GRØNのプロテインブレンド 抹茶オールスターズにも使われている抹茶。(2020年4/4追記)
後編では、抹茶についてのお話をさせて頂きます。

<登場したGRØNの製品>プロテインブレンド 抹茶オールスターズ 20g

栄養士のColumn Vol. 13 〜薬としてのお茶 Tea as Medicine (後編: 抹茶の栄養素) ——————————————————
栄養士・食育指導士・食の6次産業化プロデューサーlevel4
石原綾子:ヘルスケア分野での栄養指導、アグリビジネスのプロフェッショナル。 ミスワールド日本候補生に向けた講演会など、美や健康に特化した分野をフィールドに様々な活動を行なっている。「食を通して心と身体を豊かにし、人と地域がつながる生き生きとした社会を実現する」を理念に掲げ2013年に、株式会社アイ・フィールドを設立、代表を務める。 各地域で野外レストランを開催する「DINING OUT」の食材TEAMや、ファッションブランドのプロジェクトに中心メンバーとして参画。 また、地域食材のPR、「健康」や「美容」に特化した商品開発プロデュース、ブランディング、コンセプト設計、食品衛生、販売促進プロモーション、研修企画運営等に携わっている。GRØNの商品開発では栄養面での監修を担当。消費者の健康に、より効果的に取り入れる方法を提案している。

文献5:inお茶は薬の「茶薬同源」、台湾烏龍茶の故郷で聞いた正しい … リビングくらしナビ https://mrs.living.jp › k_life › article

2020/09/23 — 見つけた植物を自ら服用して薬効を試していた神農が、毒草にあたった時の解毒薬として常用していたのがお茶でした。その後に編纂された多くの薬草書にも、 ..

お茶は本来嗜好品ではなく薬、その歴史は中医学よりも長い

「茶を一日飲めないくらいなら、三日食事ができない方がましだ。茶が一日なければ体が滞り、三日飲まねばすぐ病気になってしまう」という言葉が中国語にあるほど、中国文化でお茶は大切にされてきました。

お茶の発見は4000年前といわれ、中医学の2000年の歴史よりもはるかに古いのです。唐代に書かれた中国最古の茶書『茶経』によると、お茶を薬として見いだしたのは、古代中国の伝説の皇帝で農耕と医薬の神様・神農。神農は日々山野に入ってさまざまな薬草を研究していました。

見つけた植物を自ら服用して薬効を試していた神農が、毒草にあたった時の解毒薬として常用していたのがお茶でした。その後に編纂された多くの薬草書にも、お茶が薬として載っています。解毒のほか、体の熱を取る、食欲を増進する、頭や目をすっきりさせてくれるなどと紹介されています。

中国から持ち込まれた茶樹を栽培
台湾の自然と技術が名茶を育てた

台湾には野生の茶樹もあったのですが、本格的な製茶の歴史は、18世紀末から19世紀初頭に中国・福建省から伝わったのが始まりといわれています。

中国茶・台湾茶と聞いて一番にイメージされるのは「烏龍茶」ではないかと思うのですが、中国ではむしろ緑茶の方が多いです。一方、台湾を代表するのが烏龍茶です。

さて、お茶というのは植物としては一種類しかありません(品種は色々あります)。緑茶も紅茶も烏龍茶も、全部同じ「チャノキ」の葉っぱです。摘んだ後の茶葉の発酵をどの段階で止めるかによって色や味が異なり、大きく6つに分類されます。

緑茶:不発酵
白茶:弱発酵
青茶:半発酵(烏龍茶はこれ)
黄茶:弱後発酵
紅茶:完全発酵
黒茶:後発酵(プーアル茶が有名)

台湾では、産地ごとに多くのブランドの烏龍茶が生まれています。同じ「青茶」でも品種や栽培環境、製茶師の技術によって風味が全然変わってくる、奥深い世界です。 

凍頂烏龍茶の故郷・南投県鹿谷郷

私にとって台湾茶の原体験となった場所は、台湾中央部の南投県・鹿谷郷という街でした。台湾茶好きの人が聞けばすぐにピンとくる、名茶「凍頂烏龍茶」の産地です。仲の良い友人のおじいちゃんの家が茶農家で、これまでに何度も遊びに行かせてもらっています。

▲茶農家さんが栽培する茶樹の苗を育てている

凍頂烏龍茶は台湾で栽培されてきたお茶の中でも最も古いもののひとつで、鹿谷には「凍頂烏龍茶の父」となった地元の名士がいます。中国・福建からの移民の子孫、林鳳池(1819-1867)という人です。 林鳳池は36歳の時に福建で行われた科挙試験を受験し、見事に合格。その後台湾に戻ってくる際に中国茶の名産地・武夷山の茶苗を持ち帰り、これを故郷・鹿谷の人々に分け与えました。この苗が増え、改良されて台湾随一の名茶のひとつ「凍頂烏龍茶」が生まれたのです。現在、林鳳池の墓所は古蹟として保存され、立派な石碑も建てられています。

▲畑の奥が墓所(お墓本体の写真は遠慮した)

お茶は薬だと教えてもらった「黒金茶」

その昔、凍頂烏龍茶の産地・南投県鹿谷の友人(のおじいちゃん)宅で、私は初めて「ちゃんとした」台湾茶を飲みました。その時の衝撃は今でも忘れられません。私が今まで日本で飲んでいた烏龍茶は一体なんだったんだ…?!と思うほどでした。

▲どちらも烏龍茶(青茶)だが、品種により色も味わいも違う

凍頂烏龍はもちろん、色々な台湾茶を飲ませてもらいました。そして最後に「これは…とっておきだよ」と言って出してくださったのが「黒金茶(ヘイジンチャ)」。烏龍茶をぎりぎりまで炭火焙煎したお茶です。

▲黒金茶。真っ黒で光沢があり、石のようにカチカチに硬い

その時に言われたのが、
「これはお茶だけど、薬として飲むんだ。のどにとてもいいんだよ」
生まれて初めて「お茶は薬」という言葉を聞いた瞬間でした。

深く焙煎されているのでどこかほうじ茶にも似た味わいですが、香気はもっと深く、のどにじんわりと染み渡っていくようなお茶でした。ああ、お茶って本当に薬だ。体だけじゃなく、魂も含めて癒されている気がする…。

▲お湯を注いだところ。琥珀色の黒金茶

 「薬」としてのお茶の正しい飲み方

現在中国の医学界で使用されている医薬品事典「薬典」の中薬(漢方薬)部門にも、お茶は正式に「薬材」として掲載されています。ですが、発酵度によってその性質は異なります。

日本人に身近な緑茶・紅茶・烏龍茶(青茶)・プーアル茶(黒茶)を例に挙げます。
体を冷やす力を比べると、緑茶は最も体を冷やします。次いで烏龍茶(青茶)。発酵が進むと体を冷やす性質は減少し、完全発酵の紅茶や熟成が進んだプーアル茶(黒茶)は冷えた体を温めるようになります。冷えが強いタイプの人は、緑茶よりも紅茶の方が体質に合うということですね。また、一日の中で、

朝ごはん後:胃腸を温めてくれる紅茶
昼ごはん後:すっきりできる緑茶や烏龍茶(青茶)
晩ごはん後:体をゆるめてリラックスできるプーアル茶(黒茶)

のように使い分けるのもおすすめです。

それから、台湾では、お茶を飲むべきではない状況を「茶之四不飲」と呼びます。お茶に含まれる成分(カフェインやミネラルなど)が悪影響を及ぼすこともあるからです。

■お茶の「四不飲」
【1】空腹不飲:空腹時は飲まない。(気持ち悪くなることがある)
【2】睡前不飲:寝る前には飲まない。(眠れなくなる)
【3】服薬不飲:服薬前後は飲まない。(薬はぬるま湯で飲む)
【4】隔夜茶不飲:一晩おいたお茶は飲まない。(変質していることがある)

中医学において、お茶は毎日飲んで体を健やかに維持してくれる「薬」として大切にされてきました。「四不飲」に注意し、体質・体調に合わせたお茶を飲んでいると長寿につながるんだそうですよ。大事に大切に、毎日のお茶をいただきましょう。

松浦優子/台湾情報ライター/漢方養生指導士・漢方上級スタイリスト/東京都港区出身の40代。元Web広告ディレクター。現在は外国人向け日本語教師のほか、台湾経済ニュースの翻訳、ライターとして活動。一年のうち1カ月以上は台湾に滞在し、台湾の文化や歴史、中医学(漢方)の養生法など、気になるテーマを探求中。インドア派、愛猫家。台湾で得た一番の宝物は、あたたかい台湾の人たちとの友情とご縁。

参考資料:

お茶の歴史Japan Tea Action https://japanteaaction.jp › 日本茶を知る

in日本でのお茶の歴史 お茶百科 http://www.ocha.tv › お茶の歴史

茶経:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

餅茶:世界大百科事典内の餅茶の言及  in出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

お茶の歴史お茶の伝播と呼び名の違い inお茶百科 http://www.ocha.tv › history

お茶の歴史 Japan Tea Action https://japanteaaction.jp › 日本茶を知る

鎌倉時代のお茶は薬?はたまたドラッグ!? 精神性の追求の … https://www.pen-online.jp › article

お茶の始まりは「薬」だった?!薬としてのお茶の起源ついて大井川茶園 https://www.ooigawachaen.co.jp ›

昔はお茶が薬だった?,shinryokuen.co.jp https://shinryokuen.co.jp ›

薬としてのお茶 Tea as Medicine (お茶の歴史) groen. Jp https://groen.jp › columns-recipes › ingredients

お茶は薬の「茶薬同源」、台湾烏龍茶の故郷で聞いた正しい … リビングくらしナビ https://mrs.living.jp › k_life › article

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