【後編】第14回くすり文化 ーくすりに由来する(or纏わる)事柄・出来事ー 八野芳已(元兵庫医療大学薬学部教授 前市立堺病院[現堺市立総合医療センター]薬剤・技術局長) 

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(5)「香薬抄(こうやくしょう)について」

in香薬抄|奈良国立博物館https://www.narahaku.go.jp › collection

こうやくしょう香薬抄 ⇒原本を読み解くのは難しく、読者個々で取り組んでください!

1巻 紙本 墨書 巻子装 表紙:縦29.8 横48.7、本紙:縦29.7 長642.0
書跡 鎌倉時代 13世紀

D043585第1紙(巻首)第13紙(巻末)
 D043585  2006/01/30第13紙(巻末)
D043587  2006/01/30 第1紙(全巻1/13)巻首
 A028760  2006/01/30 第2紙(全巻2/13)

香薬へのこだわり

『邪気を祓い清浄を保つ』 「香は薬であり、薬は香であった」

名香蘭奢待(らんじゃたい)を所蔵する奈良東大寺の正倉院に薬種目録という所蔵帳が現存しています。その中に漢方薬で使われる薬と同列に沈香・白檀・丁字・麝香などの香材料が明記されています。
この時代「香りと薬」は同じ仲間として扱われていましたそれらを総称して「香薬」といいます

春香堂初代、小川栄次郎は漢方薬問屋に丁稚奉公の後、大正十年に漢方薬業として独立しました。

たまたま近隣大須界隈のご住職方々から請われ漢方薬材料を利用したお香の調合を生業としたことが始まりで、現在の薫物香料業に至っています。

このことからも香と薬がとても密接な関係にあることが分かります。

【薬玉(くすだま)の起源】

旧暦の五月五日端午の節句は、「盛夏」です。今の暦でおよそ6月の中旬頃、うっとうしい梅雨の季節です。この頃になると蒸し暑さも増し、食べ物も腐りやすくなり、食中毒を引き起こしたり、疫病が猛威を奮いました。それ故にこの季節に「薬玉」を部屋の柱に掛けました。中国の唐から渡来したこの風習の「薬玉」の中身は元来漢方生薬だったのです。室内の雑菌を除去し、清浄を保ち、疫病の伝染を防ぐとされました。「薬玉」はお呪(まじな)いとして部屋の柱に掛け、病の全快を願いました。夏を過ぎ無事に乗り越えたことで、その祈願成就の意味で「薬玉」を割ったのです。現代では、トンネル工事や橋梁の開通式、また優勝の記念に割る「薬玉」も安全祈願と、そして祈願成就の意味で式典に用いられています。

酒蔵の表に吊られる「薬玉」も除菌効果の高い杉の葉で造られた玉です
やはり起源は同じなのです。

【丈夫で元気な子が育つようにというお呪い】

また端午の節句は現在の子供の日です。

この日のお風呂に菖蒲の葉を入れます。お湯の熱さで菖蒲の香りがプーンと鼻をつきます。
除菌効果のあるこのかおりを吸い込むことで免疫力の弱い子供の健康を願いました。

これも「香薬」効果のひとつで日本の伝統的なアロマテラピーなのです。伝統的な天然香料についてわかりやすく説明してきます。

天然香料について

沈香(ジンコウ) agarwood:インドシナ、マレー半島、インドネシアの一部等の熱帯高原地帯で採取されるアキラリア属(フトモモ目沈丁花科)の木で様々な外的要因によって木質部にある種のバクテリアが付着し、樹脂部が黒く生成された部分。比重が重く水に沈むことから沈水香とも呼ばれた。ワシントン条約により特例を除き輸出入禁止になっている。漢方薬では鎮静剤とされ、六神丸などに使われてきました。

白檀(ビャクダン) sandalwood:インド、インドネシア、マレーシア等で伐採される木の芯材。
古くから日本に渡来し、薫物だけでなく、仏教彫刻、扇など工芸品等に使用されている。

丁字(チョウジ) clove:フトモモ科の丁子の花蕾を乾燥させたもの。
モルッカ諸島、ザンジバル等で産出され、防腐剤胃薬として、また江戸時代には痺れ薬として歯痛にも用いられていた。

甘松(カンショウ) spikenard:ヒマラヤから中国西南部の高山地帯に生えるオミナエシ科の多年草の根茎を乾燥させたもの。健胃薬としても用いられている。

大茴香(ダイウイキョウ) staranise:中国南部、台湾、ベトナム北部に分布するシキミ科の常緑樹の実を乾燥させたもの。八角茴香とも呼ばれ、中華料理には欠かせない香辛料。

この香料成分の研究によってインフルエンザの特効薬「タミフル」が開発されたといわれている

桂皮(ケイヒ) sinnamon:肉桂(クスキノ科)の樹皮を乾燥させたもの。中国南部、ベトナム、スリランカ、インド等で産出されている。健胃薬としても、又お菓子などのスパイスとしても親しまれている。

霍香(カッコウ) patchouly:パチュリというシソ科の多年草の葉を乾燥させたもの。インドネシア、中国等で産出される。健胃薬として漢方薬に使用されている。

龍脳(リュウノウ) borneol:龍脳樹(フタバガキ科)の芯材の空隙に結晶として産出される。スマトラ島・ボルネオ島・マレー半島で産出される。成分のフェノールは防虫剤としても用いられている。

麝香(ジャコウ) musk:ヒマラヤ山岳地帯から中国のチベット、雲南、四川、甘粛、陝西、山西省に生息する麝香鹿の雄の香嚢から採取。近年ではワシントン条約により絶滅危惧種指定となり、一部の特例を除き輸出入できなくなっている。

貝香(カイコウ) incenseshell:紅海、南アフリカのモザンビークの浅海に生息する巻貝の蓋を炒って粉末にしたもの。香りを保つ効果があり、アラブはもとより、日本においても古くから使用されてきた。

乳香(ニュウコウ) frankincense:オマーン、ソマリア、インド等に生育するカンラン科ボズウェリア属(Boswellia)の樹木の幹から滲出する樹液を自然乾固したもの。キリスト教、イスラム教の儀式における焚香料としても知られている。

in和 漢 薬 研 究 と和 漢 古 典 – J-Stage https://www.jstage.jst.go.jp › article › jpla1956 › _pdf薬 学 図 書 館11:1 (1966) 1 「和 漢 薬 研 究 と 和 漢 古 典」 木 村 康 一* (富山大学薬学部和漢薬研究施設長) I 序 説 和漢薬の研究を行なうにあたっては,単に 天然物化学的研究の立場で行なうのと,真に和漢薬の歴史的本質に根をおいて生薬学 的, 化学的,薬理学的および臨床的研究を行なうのとで異なった行き方がある。この前者の行き方においても,和漢古典を一応調べて見る方が有利であるが,後者の場合は和漢の古典を調べて研究にかかるのが必要な条件である。その意味で演者は和漢古典の和漢薬に関するものの扱い方について解説を試みることにした。時間と準備の都合で,およそ和漢薬の個々の基源を正す必要に関する本草関係書に止り,医 書 の解説,あ るいは基源 を正すのに必 要 な産地 の考証 となる中国 の地誌,府 県志 の 解説は略 した。 II 和 漢 薬 の 研 究 和 漢薬の研 究 といって も多方 面に渉 ってい る。 次頁に示 す ように,和 漢薬 の 名称,産 地,成 分,作 用 について調査 を とげるこ とは 先 ず必要 であるが,そ の方法 として,原 植物 を正 しくとらえるこ と,市 場 品につい て品種 の査定 を行 な うこ と,本 草書,地 志 によ り考 証的研究 を行 な うこ と,分 類学的,解 剖学的 に形態学的研究 を行 な うこ と,書 誌学,科 学 史学,薬 史学 の立場か ら本草書の研究 を行な うこと等の方法 を採用す ることが 必 要 で あ る。 産地の考証は,原 植物査定 の資料 とな り, また栽培条件,採 集時期の参 考 とな り,薬 用 植物学的研究に役立つ。 また成分の研究 も,原 植物 決定の参考 とも な り,ま た新薬の開発に役立ち,さ らに,天 然物化学,化 学の発達 に貢献 す る。 さらに, 個 々の薬物の薬理作用(薬 効)の 研究 は,原 植物の決定に役立つ と共 に,漢 方方剤 の科学 的裏付け ともな り,新 しい保健,病 気治療 に 積 極的に貢献 する。 III 和漢 薬 研究 に必 要 な文 献 前 に述 べたよ うに,和 漢薬 を研究す るには, 新 しい近代的 な文献 はい うまでもないが,和 漢古典 の記文 につい ての考証は ゆるがせにす るこ とはできない。そ の中で も和漢薬 を研究 す るに当って最初 に確 めておかなければな ら ない のは正条品の基源で,そ れには今 日市場 にある生薬の基源を査 定するだけではたりな い古 典の考証が不可欠である。それ等和漢 古典の薬物に関する柱になる ものは本草文献であ る。本稿ではその本草文献 を、主にどんな風に見 るべきかを解説 してみたい。

 先ず本草の起 った中国 の文献 について観 るのに、地 理書的に扱われている山海経から、 中国百科辞典 のはじめ ともい うべ き爾雅には じま り,神 農本草経以来、下表に列挙しただけでも、年代を追 って多数のものが著 わされ ている。これ等の古典の考証のしかたが容 易ではない。神農本草経などは、本草文献最初のものとして有名なものであるが、その編著者も編著年代 も推測だけで不 明である。 ただ、梁の陶弘景がそれまで伝えられた神農本草の内容に出入りがあるが、上薬120、 中薬120、下薬128の3品合わせて365種を神農本草 のものとし、神農本草のものとする記文を朱書し、名医副品 とするものまた365 種を選び、名医別録とし、墨書し、そ の数合 して730と記し 、それに弘景の注を附して神農本草経集注7巻 としたものであ る。 思うに、これは陶弘景によって整理された神農本草経というべきものである。

 しかし、その後の本草はこれに依 らない訳にはいかず、そ の後の版本は朱書の神農本草の記文とされる分を陰刻とし、白 字と称 し、名医別録 お よびその後の注解の小字の分を陽刻、すなわち墨字とし ている。ただ、明の孝宗の勅撰の本草品彙精要では、神農本草経などの朱墨に則り、神 農本草の記文を朱書 した。新しく本草品彙精要を活てい したものは全部一様 にし、出典 を標示し字にる。 日本に先ず入った筈の神農本草経集注は、その入った年代も明確でなく、残巻すらも見るを得ない。唐の官撰の新修本草は、当時附加された(唐本先附、注 云唐附)新品を知ることと、それによって神農本草経集注の記文および、蘇敬等によって附けられた考察を知るに貴重な文献であるが、わが国にはその残巻が見 出されていて、それによった凡その姿は察せられるが、最近、岡西為人博士の戦前からの苦心による復原本により、更に全体としての姿を知ることができるに至った。

 その後宋代の官撰の開宝本草、嘉 祐本草等は、そのままでは全く見ることはできないが、食療本草、本草拾遺、蜀重広英公本草(蜀本)等と共に、唐慎微の経史証類備急本草にまとめられ、それが今日われ等の本草研究に大役をつとめる大観本草、政和本草、紹興本草 として残り、それ等が何等かの形で新しく複製され今日の貴重な資料となっている明の李書珍の本草綱目は、それまでの本草を新しい見解を以て整理し、また当時の新しい薬品を加えた大著であるが、当時まだ自然科学の幼稚な時代においての分合は相当の混乱を本草の上に残したもので、本草綱目以前の記文については、本草綱目での見解は別として、あくまで証類本草系の3本の良品を基 として考証し、本草綱目における李時珍 の見解は別に批判すべ きである。

 その後の本草綱目拾遺、植物名実図考、群 芳譜、三才図絵等、いずれもその見地から内容を参考にすべきである。日本の文献は、本草和名以下多くの文献が見られるが、いずれも大陸の未知のものについては解釈の誤 があり、本草綱目啓蒙の大著も後世日本の漢和辞典の漢名の解釈の誤の根源 をなすものとして批 判的に考証しなければな らない。 本草関係年表概略 L中 国 西暦2800 BC頃炎帝神農氏医薬を制する。

 1980 BC頃黄帝 400BC頃 五蔵山経(山 海経 の前半) 221 BC頃 秦 の始皇帝:徐 福に仙薬を求めさせる。 206-122 BC頃 漢 の高祖:張騫西域に使する。 96-30BC頃 史記:”本 草”待 詔 の官名 22-250AD 後漢:神農本草経 452-536 梁:陶 弘景:神農本草経, 名医別録,神農本草経集注 659 唐:蘇 敬等:新 修本草(唐 本草)並 びに図経 621-713 孟読:食療本草 739 宋:陳 蔵器:本草拾遺 934-975 後蜀:韓 保昇:蜀 重広 英公本草(蜀 本) 973-974 宋:李肪等:開宝本草 1060 宋:掌属錫等:嘉祐補注本草 1061 宋:蘇頌等:同・図経本草 1082 宋:唐慎微:経吏証類備急本草 1092 宋:陳承:重 広補注本草 1108 宋:艾晟:経史証新類大観本草 1116 宋:曹孝忠:経吏証類政和本草 冠宗爽:本草衍義,新編類要図注本草 1157 朱:王 継先:経史証新類紹興本草 1249 元:張存恵:重修政和本草 (術 義添加) 1505 明:劉文泰等本草品彙精要(孝宗勅撰) 1590 明:李時珍:本草綱日 1701 清:王道純等:本草品彙精要続集(粛宗勅撰) 1708 清:侃文斉;広群芳譜 1765 清:趙学敏:本草綱目拾遺 1848 清:呉其濬:植物名実図考並びに長編 1904 清;柯子本:大観本草 1928 民:四 部叢刊(子部):重修政和経史証類本草,影印 1938 民:殿 版:本草品彙精要並びに続集(図なし) 1957 人;人 民衛生:重修政和経 史証類備用本草,影印 2.目本西暦 552 欽 明13仏 教伝来 563 〃23呉人智聡;漢方書を献上 593 推古1難波,四天王寺建立,施薬院設置 630 舒明2遣唐使,薬師恵日 4 和漢薬研究と和漢古典(木村) 661,690天智新修本草渡来(上 野) 729-748天平6(734)玄肪帰朝,新修本草渡来(岡 西) 731天平3新修本草の筆写(上野) 756天 平勝宝8東大寺盧舎那仏に漢薬60種 (正倉院種々薬)供養 787延暦6典薬寮の上言:集 注本草に新修本草代えられる 808大 同3安 倍真直、出 雲広貞等:大同類聚方 820弘仁11鍼生にも新修本草を読ます 831天長8滋 野貞主等:秘 府略(1000 巻勅撰)中 神農本草経, 呉普本草引用 918延 喜18深根輔仁:本草和名 982天元5丹波康頼:医心方 1159平治元 藤原通憲:信 西入書目録中大観本草 1184寿 永3釈 蓮基:長 生療養方 中:香薬抄,香要抄,香字抄,薬種抄,薬字抄,穀類抄等 (岡西) 1284弘 安7惟宗具俊:本 草色葉抄 1362-8貞治僧有隣:福田方1592-8文禄 元一慶長3紹 興本草写本朝鮮から1607慶長12林 羅 山:長崎で本草綱 目入 手,家 康 に献上 1637寛 永14本 草 綱 目の和刻 1692元 禄5人 見必大:本 朝食鑑 1698元 禄11岡 本一抱子:広 益本草大成 1708宝 永5貝 原益軒:大 和本草 1712正 徳2松 岡恕庵:用 薬須知 1713正 徳3寺 島良安:倭 薬三才図絵 1747延 享4丹 羽正伯:庶 物類纂補修 1771明 和8吉 益東洞 薬徴 1803享 和3小 野蘭山:本 草綱 目啓蒙 1828文 政11岩 崎常正:本 草図譜 1848嘉1永1(?)前 田利保:本 草通串 1853嘉 永6前 田利保:本 草通 串証図 1933昭 和8春 陽堂:紹 興本草(石 印) 1937昭 和9,12植 物文献刊行会:仁 和寺, 新修本草(残 巻)(石 印) 1955昭 和30朝 比奈泰彦等:正 倉院薬物 (植物文献 刊行会) 1965昭 和40岡 西為人:新 修本草(再 編) (本稿 は第22回 日本薬学大会薬学文献部会 ガイダ ンスにおいて3時 間にわた り行 なわれ た講演 をまとめたものであります。都合により非常に簡略させていただきました点を木村先生に深くお詫び致します。一編集部一)

(6)深根輔仁の「本草和名」「養生秘抄」について

深根輔仁(ふかねのすけひと):生年生没年不詳
平安中期の医者。欽明天皇のころ百済を経由し渡来したの孫権の末裔と称する医家の一族和泉国(大阪府)大鳥郡蜂田郷に住んだので蜂田,医を業としたので薬師を名乗ったが,仁明天皇の承和1(834)年に深根宿禰のを賜った家が出て分系した。輔仁深根宗継を祖父とし,典薬頭菅原行貞の門徒として右衛門医師より権医博士,大医博士に累進し,名医として知られた。延喜18(918)年ごろわが国最古の漢和薬名辞書『本草和名』を選している。<著作>『掌中要方』『養生鈔』<参考文献>石原明「蜂田薬師の家系に関する考証」(『医譚』復刊17号),新村拓『古代医療官人制の研究』

(宗田一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 生没年不詳。平安中期、醍醐(だいご)天皇に仕えた世襲侍医。医博士(いはかせ)。本姓は蜂田薬師(はちたのくすし)。深根の姓は祖が賜り、深江ともいう。918年(延喜18)勅命で撰進(せんしん)した最古の広範な薬物辞書『本草和名(ほんぞうわみょう)』2巻の著者。本書は唐以前の30余書を引用、

目次の配列は唐の『新修本草』に拠(よ)り、1025種の品目は本草薬物および玉石、禽獣(きんじゅう)虫魚、穀類など9類に分け、薬物の漢名の下に万葉仮名で和名の対訳を施し、出典を考証した古代の重要文献である。

[根本曽代子][参照項目] | 本草和名 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について

平安初期の医家。生没年不詳。渡来人系蜂田薬師(はちだのくすし)の一族。蜂田薬師は欽明天皇のころ百済を経由して渡来した呉の孫権の末孫と称する医家の一族で,和泉国大鳥郡蜂田郷に住んだので蜂田とし,職業の医をもって薬師とした。この家系から深根宿禰の姓を賜る者が出て分系した。輔仁は医学を典薬頭菅原行貞に学び,左衛門医師より権医博士,大医博士に累進した。著書に,日本最初の薬名字書《本草和名(ほんぞうわみよう)》をはじめ,《養生鈔》《掌中要方》などがある。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

参考資料

・人と薬のあゆみ-年表 www.eisai.co.jp › museum › history

・奈良県薬業史略年表

・羽曳野市教育委員会事務局 世界遺産・文化財総合管理室 文化財課

・平安時代~鎌倉時代:東北農政局-農林水産省 https://www.maff.go.jp›

・将軍のアーカイブズ-14. 重刻太平恵民和剤局方-国立公文書館

・和剤局方–Wikipedia https://ja.wikipedia.org›wiki›

・香薬抄|奈良国立博物館https://www.narahaku.go.jp›collection

・香薬へのこだわり-春香堂 https://www.kaori.co.jp› yakkou

・和漢薬研究と和漢古典-J-Stage https://www.jstage.jst.go.jp›article›jpla1956›

・朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について

・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)

・株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

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