【前編】第3回 くすり文化-くすりに由来する(or纏わる)事柄・出来事- 八野芳已(元兵庫医療大学薬学部教授 前市立堺病院[現堺市立総合医療センター]薬剤・技術局長)

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 [世界四大文明:古代文明発祥の四大地域]

 わが国の「縄文時代(紀元前数千年~前3世紀頃)から弥生時代(紀元前3世紀頃~後3世紀頃)」での文化や社会制度或いは食生活が、予想以上に高いレベルにあったといわれる中、その数千年前に、すでに世界には四つの文明の「黄河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明」(世界四大文明)が生まれ、人類が生活をはじめている。

 このように人類が世界のあちこちで生活を営み続けてきた地域では、生きていく上において身に降りかかる「病気やケガ」は避けられず、歴史の流れと共にそれらを「克服するため医療」が発達してきたと考えられる。そして、その中で「病気やケガの治療に役立つ薬」が発見され、さらに新たなもの(薬)が考えだされ、また創作されてきたと推察される。日本薬学会は、「薬学の歴史」の中で「BC~ACの時代」を「祈祷から医学の基礎づくりヘ」と位置付けて、「病気との戦いは、人類の誕生と同時に始まりました。しかし、病気の原因についてはよく分からずに、病気をはらうために祈祷などが行われていました。そうした中で、紀元前400年頃に、ギリシャで病気の原因を解明しようという機運が生まれました。その中心が医学の父・ヒポクラテスでした。また、中国でも生薬を用いた医療が紀元前後に体系化されました。当時は、草木や鉱物などが、そのままくすりとして用いられていました。」と解説している。(in薬学の歴史 – 日本薬学会 www.pharm.or.jp › shosasshi › pdf(3) )

 *紀元前(BC)400年:ヒポクラテス(ギリシャ)が病気の原因を追究 ⇒ AC78年デイオスコリデス(ギリシャ)が「薬物誌」を刊行(薬学の誕生)⇒ AC200年:ガレノス(古代ローマ)がギリシャ医学を集大成、「神農本草経」「傷寒雑病論」が著される(中国医薬学の体系化)

では、人類発祥の時代ではどのような「くすり文化」が築かれてきたのかを四大文明を通して探ってみる。

ただし、四大文明の発祥の時期や出来事などについては、いろんな情報があるので詳細は、他の書籍等をお読みいただき、ご自身でご判断してお考えいただきますようお願いします。よって、この項目では、得られた情報を基に、「くすり文化」に関わる事について考察することとし、年代の不一致などが出てくることをご了承ください。

  • メソポタミア文明:

ティグリス川とユーフラテス川の流域のメソポタミアに成立した現在人類最古と考えられている文明。最初の[農耕・牧畜]が始まり、その中から[青銅器]を持ち、[楔形文字]を用い、多神教に基づく神殿(ジッグラト)を中心とした[都市文明]が生まれ、[六十進法]や[太陰暦]などの文化が形成された。このメソポタミア文明はエジプト文明とともに、ひろくオリエント文明を構成している。(inメソポタミア文明-世界史の窓 www.y-history.net › appendix (4)

【inメソポタミア文明 www.vivonet.co.jp › b02_mesopotamia › Mesopotamia(5)

[くすりは・・・]シュメール人粘土板に楔形文字で「病気や薬のこと」を記載し、“病気は神の怒りにより悪魔が人間に取り付いて起こるもの”として、治療は僧侶(魔術師)が行っていたとされる。

  • 神をなだめ、罪滅ぼしと悪魔よけの儀式の後、呪文と薬(吐剤、下剤薬の多くは動物の糞や腐った  臓器・焼いた羊毛など悪臭とムカつくもの。(体内に潜む悪魔を追い出す)

鎮痛剤(ケシ、ヒヨス)、胃腸薬(桂皮、センナ)、駆虫薬(ザクロ根皮)もあったが、呪文により初めて効き目が出ると考えた。

バグダッドの少し南の地域で掘り出された泥板に楔形文字が刻まれ、物品の出納の他、農産物の名前が記され、その頃、既に食品・薬?・麻薬?などが生産されていた事が分かって来た。ペンシルベニア大のKramer教授はスメリアの処方を鑑定しその中に[ケシカミツレ桂皮センナ葉石瑠根皮甘草オリーブいちじく、乳、蛇皮、亀甲、食塩、硝石]などが含まれていることを報告している (In くすり博物館だより 昭和63.7月 第19号 くすり事始(5)(6))。

【クレイタブレット:Smerian Clay Tablet(複製)】

[In 人と薬のあゆみ search.eisai.co.jp › cgi-bin › historyphot(7) :クレイタブレット:Smerian Clay Tablet(複製) /15.5×9.3cm 楔形文字で薬の処方が刻まれている。チグリス・ユーフラテス流域に住むスメリア人医師の手によるもの。今から4000年以上も前の、薬に関する世界最古の記録。 E02535:目で見るくすりの博物誌 P.84 ]

人は野山に食べ物を探しに、歩いた時一番初めにやらねばならない事は、食べられる物と食べられないものを区別するという作業である。この時、食べると身体に悪い物を2度と摂らないように、サンプルを腰にぶら提げていたのではないかと思う。こうして、食べられない物の中でも、食べられないが、何故か身体に変な作用をするものがあることが分かり、何かの目的に使い始めて、それなりに名前が付けられた。その名前が泥板に書かれている。更に驚くべき事に医学もなく病気の名前も付いていなかった筈なのに21世紀の今日、薬として使われている生薬の名前が出て来る。

これらの報告から見て、文明が始まった頃、食べ物の中に何故か身体の状態を刺激する物質がある事を感じ始めていたのであろう。その内、病魔を追出す手段として、祈りと共に、今日の下剤や嘔吐剤のような“今で言う薬”が使われていた事になる。

【泥板には芥子の名前が書かれている】(この事は芥子が他のものと違っている事を認識していた事が示している)【医学も薬学もなく、病気と言う言葉が無く、勿論薬と言う言葉も無かった。しかし、芥子は普通の食べ物とは違うと言う事が分かり、泥板に書きしるした。】

*芥子:【文明の始まりから、人類と付き合い、最高で最悪な毒薬である。芥子はケシと読む】

エジプトではすでに阿片を栽培し、ギリシャでは戦いの場に毒薬を使っているように、文明の初めから毒や麻薬(こんな名前がついて居たとは考えられないが、可なり生理活性のある物質を保有していたようである)、その管理は純度・力価・有効量など、薬としての管理の必要性を認識し、その専門の管理者が存在していた事になる。メソポタミヤで出土した泥板には芥子の名前が載っている。メソポタミヤに文字文明が開かれる前から芥子の花はこの地方に野生していたと考えられる。芥子の実を傷つけると果汁が出て来て固まる。これが阿片である。今でも、医薬品の中でもっとも有名な阿片の原植物である。文明と共に人類の傍に存在し、多分、その時々、人々に強烈な生理作用を与えている物質である。即ち薬として7000年続いている「薬の王様」である

 この頃、医学は未開で、病気になった人を治療するのは、祈祷師であった。その中で医療の腕のあるのが祈祷医師の役割を果たし、彼らはこの芥子を使って、医療を行なっていたと考えられる。文明が開かれていない時から、食べ物や毒の中に阿片が含まれ、祈祷師はこれを重宝したに違いない。そして、自らも中毒状態に陥り、凶乱の中、破滅の道を辿ったのであろう。したがって、医術を担当する医師が誕生した時、この毒と薬を管理するには聖職者のような強靭な心を持った人を必要としたと考えられる。

 アレキサンダーは東方に遠征する時、芥子を中国・インドに広めている痕跡のある事は、すでに阿片の効能を知っていた事が伺える。阿片は強い鎮痛、鎮静、催眠、鎮咳、止しゃ作用を示す。人々は無意識に、これを使っている内に、催眠・陶酔・興奮のような効果を覚え、その内、中毒、錯乱、死というパターンを繰り返した。殊に、阿片を喫煙すると、初めは不快感があるが、何回も吸煙していると陶酔境に入る。さらに、この状態で使用を中止すると、禁断症状が現れ、頭痛・不眠・震え・興奮・凶暴と言う症状が現れる。このようにして、古代文明の中で、阿片は世界に広がり。更に中世から近世へと衰えることなく続いて行く!

(2)エジプト文明:【文明は徐々に明るくなって行く】

 エジプト文明はBC3,000年から500年ころにナイル川流域に生まれた文明で、ほぼ日本での縄文時代に相応する時代と時間軸から考えられる。この時代では、“病気は悪魔の仕業” との考えは変わらないが、医学(治療、外科手術、接骨など)は発達し、 「医学・薬学全書BC1500年頃、病気の種類や症状・治療法・薬が記載)」がまとめられ残されている。

医学書エドウィン・スミス・パピルス(負傷者の治療法)     (医療器具の絵)

[エドウィン・スミス・パピルスは、紀元前三千年ごろのもので、古代エジプトの外傷手術に関する世界でも最初期の医学書で、人体解剖的研究、質問検査、機能試験、診断、治療、予後診断などが多数記されている。in世界の医学史 zuien238.sakura.ne.jp › newfolder1 › worldmedical(8)]

 メソポタミヤの文明(BC5000年~BC3000年)は2000年の時を掛けて南に下がって来る。ツタンカーメンの時代、エジプトには芥子の花が咲き乱れていた事が分かって来た。メソポタミヤの泥板の中にエジプト王宛の文字が含まれている事から、この文化は、エジプトに伝えられ、エジプト人は更に進んだ文化を作り上げた事をパピルスに刻んでいる。(BC3000年~BC1000年)初めは物質名の羅列に留まっているが、徐々に、栽培方法や使用状況が記されている。BC3000年頃ナイルの氾濫によって、肥沃な土地が生まれ、エジプト人はシュメール人から学んだ楔形文字から象形文字を編み出し、ナイルデルタ地帯に繁茂していた蚊帳つり草から作ったパピルスに記録を残した。 

代表的なエーベル・パピルスには医学的記述が多く、多数の薬の処方を掲載している。痛み止め効果・興奮作用のある阿片を使い、栽培している事が書かれている。ほかには内臓疾患、眼科疾患、婦人科疾患および皮膚疾患についても記されている。埋蔵室の中から野菜を使っていたことが判明している。処方の中にはくすりの量が正確に記載され、調合についての指示がある。生の薬は粉末にしたり、煎じたり、顆粒にした。ビール、ワイン、ミルクは溶剤として使われ、錠剤は蜂蜜とパン粉で作られた。直腸と膣には座薬が使われていた。又、脱腸にアストリンジェントが使われていた事が発見されている。便秘から来る痛みはビールと一緒にカスターオイルの種を噛むと便秘が治まると記載されている。古代エジプト神話によれば、マンドレイク**の果実はヌビアからもたらされ、ビールの女神に捧げられた。女神は酔い、目は輝き、太陽が上がる頃は分別が無くなっていた。神話の中の神々は王様であり、女王であったわけで、その中でも、もっとも有名なのがエジプト最後の女王クレオパトラである。【マンドレイク**は19世紀でも麻酔に使われている

アストリンジェント:収斂作用(しゅうれんさよう)とは、タンパク質を変性させることにより組織や血管を縮める作用である。 渋味を示すことからアストリンゼント(astringent)効果とも呼ばれる。 収れん作用を持つ物質には止血、鎮痛、防腐などの効果があり、化粧品や医薬品として用いられる。

**マンドレイク:In古くから物語に描かれ続ける毒草 マンドレイク | GardenStory … gardenstory.jp › plants(9)

 2018年3月21日 :植物といえば、花の美しさや緑の木陰など、私たちにとって心地よい面ばかりが注目されがちです。しかし、時に危険な秘密のほうが人を惹きつけるもの。ここでは幻覚作用から猛毒を持つものまで、人を死に至らしめるほどの毒性を持つ植物を紹介します。妖しい魅力を放つ毒草の世界をご堪能ください。【後編】に続く。

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