不変の価値観と社会貢献への重要性を改めて確認

武田薬品は19日、同社大阪本社で社員向けの創業245周年記念イベント「陰徳陽報―五代目武田長兵衞と大賀寿吉の軌跡を辿る」を開催した。記念イベントでは、変革の時代においてもゆるぎない価値観を持ちながら大賀寿吉らの仲間とともに武田の礎を築いてきた歴史を振り返り、今後も事業のみならず社会・文化の発展に貢献していく重要性を改めて確認した。
武田薬品では6月12日の創業を記念して、毎年Values dayという同社の価値観“タケダイズム(誠実:公正・正直・不屈)”について前年度に従業員が体現したケースを共有すると共に、この価値観に根差した企業文化の醸成を目的とした従業員向けイベントを開催している。
今年は、創業245周年に当たり、1890年代から1900年初頭にかけて洋薬の直輸入および医薬品の国産化を推し進め、現在のタケダを形作った五代目武田長兵衞とその右腕として洋薬輸入業務の責任者を務めた大賀寿吉を取り上げる記念イベント「陰徳陽報―五代目武田長兵衞と大賀寿吉の軌跡を辿る」をValues Dayのサブイベントとして開催したもの。
1870年、四代目の長男として生まれた五代目武田長兵衞は、暗算がすこぶる早く、記憶力に優れていた。酒やタバコは嗜まず、食べることが趣味であった長兵衞は、和漢薬商から洋薬商へと変貌を成し遂げた武田を「事業は人なり、しかも人の和なり」を経営理念に、さらなる飛躍へと導いていった。
1894年に洋薬の直輸入を実現。1907年には武田初の製造工場である内林製薬所の拡大に着手し、1925年大阪十三に武田製薬所を開所した。これらの取り組みは、後の武田の製造拠点の中核となる大阪工場設立へと繋がって行く。
その間、1914年に勃発した第一次世界大戦の荒波の中、ドイツからの洋薬輸入が停止すると、すぐに武田研究所を設立(1914年)し、医薬品の国産化への道を切り開いていく。長兵衞は、「人を信じ、人の輪を力に変える」ことで、小さな個人商店であった武田を近代的な製造産業として変革し、世界進出への礎を一代で築き上げた類まれなるリーダーであった。
1923年の関東大震災では、利益よりも救命を優先し、武田は膨大な量の医薬品を被災地に送り続けた。さらに、震災で多くの医学書や古典が失われたことを悔やみ、長兵衞は私財を投じてそれらの収集に乗り出す。この蔵書は、後に医学会を潤す願いを込めて「杏雨書屋」と名付けられ、日本の医学史、薬学史研究を支える貴重な資料として受け継がれていく。
1940年、長兵衞は初代から受け継いできた価値観を社是「規」として明文化する。“誠実を大切にする”価値観は、現代のタケダイズムに引き継がれている。

一方の大賀寿吉は、五代目長兵衞の右腕として1894年に洋薬の直輸入を切り開いた功績者である。長兵衞は、神戸の貿易会社に勤務していた大賀の知識と誠実さに信頼を寄せ、武田に迎え入れた。大賀は、語学堪能で、本業の傍ら民間学者としてイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの研究に情熱を注ぎ、日本におけるイタリア文学研究の礎を築いた。
今年は、日本とイタリアが外交関係樹立160周年を迎える記念すべき年でもある。そこで、245周年記念イベントでは、外部の研究者の下館和巳氏(東北学院大学名誉教授)、赤井規晃氏(大阪大学付属図書館)と、井上隆志氏(武田薬品コミュニケーションズ&ガバナンス)による鼎談を企画し、大賀が築いた武田とイタリアの知られざる関係を振り返った。
大賀は、武田長兵衛商店の幹部社員でありながら、ダンテの研究に取り組み、大正から昭和にかけてのダンテ研究と言えば第一人者として認めらるまでになった。
大賀が海外との取引を通じて、五代目の理解と支援を得ながら生涯をかけて収集したダンテ研究の書物は、約2600冊に及んだ。
1937年の大賀没後、その書物は京都帝国大学(現京都大学)に寄贈され、「旭江文庫」と名付けられた。
1938年には、大賀の遺志を受け継いだ人達により、京都帝国大学に日本で初めてのイタリア文学講座が創設された。ダンテ関連書物は、日本におけるイタリア文学研究の礎となり、さらには近代文学の発展にも影響を与えてきた。
245周年記念イベントは、五代目武田長兵衞がスポークの仲間とともに築き上げてきた武田の変革の歴史に触れ、不変の価値観と社会への貢献の重要性が改めて訴求される内容となった。

クロージングメッセージの中で古田未来乃CFOは、「タケダが新たな成長期を迎える転換期に、歴史を振り返って自分たちを見つめ直すのは重要である」と強調。その上で、「このの記念イベントで、情熱は事業のみならず社会、文化への発展まで繋がることを先人から学ばせて頂いた。基本にある価値観をもう一度再考して社会に貢献する礎を皆さんと一緒に築いていきたい」と呼びかけた。

