第58回日薬学術大会in KYOTOハイライト特別記念講演 iPS細胞が目指す未来 髙橋淳京都大学iPS研究所所長・教授

髙橋氏

 第58回日薬学術大会では、特別記念講演として髙橋淳京都大学iPS研究所(CiRA)所長・教授が、「iPS細胞が目指す未来」をテーマに、パーキンソン病を代表例とするiPS細胞の実臨床への応用や、iPS細胞を用いた病態メカニズムの解明、創薬などの展望について解説した。
 もともとプラナリアなど古い生物が有する強い自己修復力(再生能力)は、生物の進化と共に失われていった。例えば、トカゲの尻尾を切ってもまた生えてくるが、人間の指は切り落とすと戻ってこない。特に中枢神経や脳、脊髄は再生しない。脳出血、脳梗塞を惹起して、麻痺が残って元に戻らないのはそのためだ。ヒトでは、皮膚など体の表面部分の再生能力は残っている。
 細胞の増殖の流れを認識すれば、自己修復再生機能が分かり易くなる。もともと一つの細胞の受精卵が増殖して母親の体の中で胎児となり、赤ちゃん、子どもを経て大人になる。人の体は、10ミクロンくらいの一つ一つの細胞で構成されている。一つの細胞が、神経、脳、心臓の筋肉、骨、血液、腎臓、肝臓、膵臓になって行って我々の体が形成される。
 1953年、ワトソンとクリックによって、細胞の中には核があり、DNAが二重らせん構造になっていることが発表された。だが、細胞の中に遺伝情報が存在することは判明したものの、具体的にどのようになっているのかは不明であった。
 受精卵には、腸、神経、脳など体を形成する全ての細胞の情報があるが、腸の細胞には腸の遺伝子しかない。ジョン・ガードン博士は、1962年に腸の細胞には腸の遺伝子しかないことを確認するためにカエルの受精卵の核を取り除いて、腸の核を入れた。もし、腸の細胞に腸の情報しか残っていないなら、この細胞は腸になるはずだ。ところが、この受精卵はオタマジャクシとなり、カエルになった。
 この実験結果から、腸の細胞の核には、全ての細胞に関する遺伝子が残っていることが判明した。さらに、成熟した細胞を初期化して万能な状態に戻せるという大発見をしたジョン・ガードン博士は、2012年に山中伸弥氏とノーベル生理学・医学賞を共同受賞した。
 哺乳類でこれを証明したのがイアン・ウイルマット博士だ。1996年に羊の卵子の核を取り除いて乳腺の核を入れると一匹の羊が誕生した。このクローン羊は、ドリーと名付けられた。哺乳類の成熟した体細胞も、全ての遺伝子を持っていることが判明した。従って、「高等生物は自己修復できないが、その可能性は秘めている」のだ。
 その後、様々な研究が進み、「どの成熟細胞にも全ての遺伝子があるが、鍵が掛かって読めなくなっている」ことが明らかになった。腸の細胞は、腸の遺伝情報のみ鍵が開いている。これにより腸の細胞は、進化と共にどんどん自己修復能力を失っていった。従って、個体レベルでは、手、足、目は修復しないが、細胞1個、1個のレベルでは、細胞の中に全ての遺伝子が残っているため、修復能があると考えられた。すなわち、「鍵を外してやれば細胞の遺伝子情報が全て読めるようになる」というわけで、世界中の研究者は、こぞってこの研究に参入した。
 成熟細胞の遺伝子の鍵を全て外してやればもともとの受精卵と同じように全ての細胞になる可能性が出てくる。これを初期化という。世界で初めて細胞の初期化に成功したのが山中伸弥CiRA名誉所長・教授である。
 その手法は、皮膚を5㎜程度切り取って線維芽細胞を増殖し、山中4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)を入れると、iPS細胞(人工多能性幹細胞)が作製できるというものだ。最近では、血液からiPS細胞を製造する手法が取られている。
 受精卵からできていった成熟細胞を、時を戻すかのように逆回転させるのがiPS細胞である。この研究は、マウスで2006年、ヒトで2007年に成功した。
 髙橋氏は、「ノーベル賞的な発見と言ってもとんでもなく難しいことを行ったわけではない。研究者は普通に考えて、普通にチャレンジすることが重要である」と訴えかける。
 iPS細胞は、①自分自身の細胞から作ることができる、②自分のiPS細胞で自分を治すことができる、③自分の臓器を培養皿の中で培養できるーという機能を有する。また、①ほぼ無限に増やせる自己複製機能、②神経細胞、線維芽細胞、肝臓細胞、心臓細胞、軟骨細胞、膵臓細胞など様々な細胞に成れる多様性ーを特徴とする。
 iPS細胞を医療に役立てるため、2010年にCiRAが設立された。iPS細胞の医療への応用には、再生医療と病態解明および創薬研究がある。髙橋氏は、「私は脳外科医で、周りを臨床医に囲まれていたので、論文を書くための研究より患者さんを治そうという気持ちで研究を進めてきた」と話す。
 髙橋氏のiPS細胞の臨床への応用は、再生医療によるパーキンソン病の治療だ。パーキンソン病は、中脳黒質のドパミン神経細胞が進行性に脱落することにより、手足の震えやこわばり、運動低下ななどが生じる疾患である。多くは50歳以降に発症し、日本には約29万人の患者が存在すると言われている。
 健常者は、中脳黒質にドパミン神経がたくさんあって、脳内にドパミンが放出される。パーキンソン病になれば、ドパミン神経の中に不必要なレピー小体が蓄積し、ドパミン神経細胞が減少し、脳内のドパミン量が少なくなる。
 そこで、髙橋氏らは、20年前からiPS細胞からドパミン神経を作ってパーキンソン病患者の脳に直接投与して体の動きを取り戻してやる研究に取り組んできた。
 パーキンソン病に対するヒトiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞の細胞移植の医師主導治験は、7例で24カ月の観察期間を費やした。具体的には、京大病院で元気なヒトから血液を採取してCiRAでiPS細胞を作製し、ドパミン神経前駆細胞作ってこれをもう一度京大病院に運んで脳神経外科医がパーキンソン病患者の脳に1人当たり500万~1000万個の細胞を移植して、神経内科と放射線医が安全性・有効性を評価した。
 この世界初となるiPS細胞を用いた再生医療の治験では2年間安全性が観察されたが、安全性については、臨床試験に入る前に動物実験を繰り返し行った。マウスだけでなく、サルも用いて2年間、がんにならないか、変なところに移植した細胞が飛んで行かないかを経過観察した。
 治験における有効性は、細胞がきちんと定着して機能するかをPETを使って確認した。患者の症状が良くなるかは「ヤール分類」で確認し、少なくとも4人の患者が1~2段階良くなった。
 こうしてパーキンソン病に対するヒトiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞の細胞移植は、「重篤な有害事象なし」、「移植細胞に起因するジスキネジアなし」、「移植細胞の腫瘍性増殖ない」と安全で、脳の中に定着してドパミンを作り、症状も良くなることが確認された。これらの治験データを元に本年8月、住友ファーマがiPS細胞由来パーキンソン病薬の製造販売承認申請を厚労省に行っている。
 iPS細胞を使った国内の再生医療の臨床試験は、パーキンソン病の他にも、加齢黄斑変性、網膜色素変性、虚血性心筋症、血小板減少症、1型糖尿病、卵巣明細胞がん、膝関節軟骨損傷など、14疾患において実施されている。これらの安全性・有効性のデータが積み重なっていけば、iPS細胞を用いた治療は、標準的なものとなる。
 一方、iPS細胞を用いた病態解明および創薬研究では、自分の臓器で起きている症状を培地の中で再現する「脳オルガノイドの作製」が注目されている。脳オルガノイドは、脳に似た構造を持つ3次元の小さな人工組織で「ミニ脳」とも呼ばれ、脳の発生過程や神経疾患のメカニズム研究や、新薬の開発のための重要なツールとなっている。
 ALS(筋萎縮性側索硬化症)の研究では、井上治久CiRA副所長・教授が、ALS患者由来iPS細胞を用いてALSに対する薬剤スクリーニングを行い、悪性腫瘍剤「ポスチニブ」が神経細胞死抑制効果を有することを同定した。
 国内におけるiPS細胞を使った創薬の臨床試験は、「アルツハイマー認知症」、「Pendred症候群(遺伝性難聴・めまい)」、「筋萎縮性側索硬化症(ALS、2件)」、「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」、「多発性嚢胞腎」で実施されている。
  

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