強心配糖体は、以前には心不全の治療に必須の薬であったが、現在では使用法の難しい強心薬として臨床的にほとんど用いられていない。ここでは強心配糖体の強心作用でなく抗ストレス作用について述べるが、その作用機序が実は生命科学の根本と大いに関係していると思われた。
はじめに
私は京都大学大学院薬学研究科の生物化学研究室でインドコブラ毒中の細胞毒タンパク質の精製、構造決定、構造活性相関などを研究した後、近畿大学薬学部の生薬学研究室に就職して天然物からの抗ヘルペスウイルス活性物質のスクリーニングを行い、1990年頃にジギタリスの葉のメタノールエキスにその活性を見出すことができた。光学顕微鏡で観察するとウイルスをかけたヒト羊膜細胞はボロボロに破壊されているのに対し、ジギタリスエキスを加えたウイルス感染細胞は表面が輝いているようでウイルスをかけていない細胞より元気そうだったのを今でも鮮明に覚えている。この時の感動が以後の研究の原動力となった。このようにして強心配糖体の抗ウイルス作用機序を解明する研究がスタートしたが、2005年頃にフローサイトメーターで細胞毒性と細胞内K+濃度を同時に測定できるようになってから以下に述べるような成果をあげることができた。
生命活動における膜電位とATPの重要性
まず、予備知識として生物学で最も重要な膜電位とATPについて確認しておきたい。ここで膜電位とは細胞膜と細胞内膜を含めた細胞全体において発生する電位のことで、細胞膜電位とは細胞膜において発生する電位とする。動物細胞が生きていく上でATPが必要なことは自明のことであるが、ヒトの場合、全ATPの約3割を消費しているのが細胞膜に存在しているNa+,K+-ATPase でATPを消費して図1Aのように細胞内のNa+ を外へ排出し、細胞外のK+ を内へ取り入れている。
その結果、細胞内のK+濃度は外に比べて約30倍高くなっている。この細胞内外のK+の濃度差を利用してK+リークチャネルを通りK+が細胞の内側から外に流れる。主にこの流れにより細胞膜電位が発生する。この細胞膜電位は運動制御、筋収縮、神経伝達、感覚受容、受精、免疫、細胞分化など様々な細胞活動において重要な役割を果たしている。ところで、この細胞膜電位発生のために必要なATPは主にミトコンドリアにおいて内膜を通過するプロトンの流れ、つまり膜電位を利用して産生される。このようにあらゆる細胞活動にとって膜電位とATPは必要不可欠なものである。
ウワバインの抗ストレス作用と細胞内K+濃度変化
きっかけは前述したように抗ヘルペスウイルス活性物質を天然物からスクリーニングしている時にジギタリスの葉のメタノールエキスに強い抗ウイルス活性を見つけたことである。ついで、市販の種々の強心配糖体について試験したところ全て低濃度で活性が見られたので強心配糖体の共通の作用としてのNa+,K+-ATPaseの阻害が抗ヘルペスウイルス活性の原因ではないかと推測された。そうだとすれば強心配糖体は他のウイルスに対しても抗ウイルス活性を示す可能性がある。さらに拡大してウイルスは細胞にとって生物的ストレスと考えてウイルス以外の種々のストレスを細胞にかけた時に強心配糖体の代表としてウワバインはどのような機序で抗ストレス作用を示すのかを検討するために化学的ストレスとして抗癌剤をヒト白血病細胞に作用させて43nMのウワバイン存在下あるいは非存在下で細胞内K+濃度や細胞毒性がどのように変化するのかをフローサイトメーターを使って調べた。
図2A, 2B, 2Cの○は生細胞、〇に×の付いたものは死細胞を示し、生細胞内の赤色はK+を表し濃度が高いほど濃い色で示した。図2Aのストレスの無い時はすべての細胞が生きており、細胞内が外に比べてK+濃度が高い。図2Bのように細胞にストレスがかかって全細胞数の50%が死細胞となった場合、生き残った細胞内のK+濃度は図2Aのストレスの無い時に比べて高くなった。ついで、図2Cのようにウワバインが存在する状態で同じストレスがかかった場合、全細胞数の75%が生き残ったが、それらの細胞内K+濃度は図2Bのウワバインが存在しない時に比べて低くなった。さらに、薬剤の種類を10種類、細胞の種類を5種類に増やしても同様の結果が得られた。また、細胞を貧栄養状態にした時や物理的ストレスとして紫外線照射をした後でも同様の結果になった。このことからストレスにより細胞内K+濃度が上昇し、ウワバインはその上昇を抑制すると同時にストレスによる細胞毒性も抑制することが判明した。なお、詳しい実験方法については私達の論文(J. Pharm. Pharmacol. 2015 Jan. 67 (1), 126-132)やホームページ(https://ouabain.info)を参照。ホームページには前記の論文のPDFファイルも掲載している。
ストレスがかかると細胞内K+濃度が上昇するのは何故か?
一般にストレスで細胞が弱ってくると膜電位が減少するつまりゼロに近づくと考えられる。細胞膜電位が減少する原因はストレスで細胞内ATP量が減少してNa+,K+-ATPaseの機能が低下し細胞内K+濃度が低下して細胞内外のK+濃度勾配が小さくなるのでK+リークチャネルを通過するK+の流れが弱くなるためと思われたが、前述の実験においてストレスで弱った細胞は細胞内K+濃度が上昇したので図1BのようにストレスによりK+リークチャネルが阻害されるのではないかと考えた。従来、K+リークチャネルは常に全開されていると考えられているが、阻害される場合もあると思われる。但し、ストレスが直接K+リークチャネルに作用して阻害するのかあるいは間接的に阻害するのかは現在のところ不明で今後の研究に待ちたい。なお、傍証とはなるが、Liuらは2005年にK+リークチャネルを過剰発現した細胞はストレスに対する抵抗性が元の細胞より高まることを報告している。K+リークチャネルはK+チャネルの中で最も重要なチャネルであるにもかかわらず研究が最も遅れているのでストレスとの関連も含めて今後の研究の進展を期待したい。
ウワバインがストレスによる細胞毒性を抑制するのは何故か?
図1Cのようにウワバイン存在下で細胞にストレスがかかった場合、ストレスによりK+リークチャネルが阻害されて細胞内から外へのK+流出量が低下するが、ウワバインによりNa+,K+-ATPaseが阻害されて細胞外から内へのK+の輸送量が低下する。細胞膜電位は前述したように主に細胞内から外へ流れるK+の流れの大きさによって決まるのでストレスによって減少した細胞膜電位をウワバインが回復したとも考えられる。ところで、ストレスが細胞にかかると細胞内のATPの産生が低下し、細胞内ATP量が減少すると思われる。しかし、ウワバインによりNa+,K+-ATPaseのATP消費が減るとストレスによる細胞内ATP量の減少は抑えられると考えられる。このようにウワバインはストレスによる細胞膜電位や細胞内ATP量の減少を抑えることにより抗ストレス作用を示すものと思われる。
臨床応用への展望
ウワバインは上記のように研究室の実験でよく使われるが、日本薬局方に掲載されていないので臨床では使われていない。一方、ジゴキシンなどの強心配糖体が日本薬局方に掲載されているが、臨床では主にその蓄積性や安全域の狭さなどによりほとんど使用されていない。しかし、2010年頃にDIG(digitalis investigation group)トライアルとしてアメリカで心不全患者約7000人に対して強心作用を示す量の約半量のジゴキシン投与の有無による約3年間の経過観察を行ったところジゴキシンは患者のQOLを改善する可能性が報告された。ところで、漢方薬の六神丸や救心製薬の救心に含まれる生薬のセンソ(シナヒキガエルの耳腺分泌物を乾燥させたもの、いわゆるガマの油)は強心配糖体と同じ作用機序を示す強心ステロイドの抱合体などを含有するが、ジゴキシンより排泄が早く比較的安全である。センソはDIGトライアルの結果から考えて通常の強心作用を示す量の半分位で抗ストレス作用が期待できるのではないかと思われる。
まず、具体的な抗ストレス作用としては発癌予防効果が考えられる。正常細胞が種々のストレス、たとえば紫外線照射や刺激物暴露、ウイルス感染などを繰り返し受けた場合に癌化すると考えられているのでセンソを飲んでいれば発癌を予防できるかもしれない。また、コロナウイルスをはじめとするウイルス感染予防にワクチンが投与されているが、センソを飲むことによりウイルスに感染しなくてすむかもしれない。
さらに、京大の垣塚先生のグループは、種々のストレスが細胞内のATP量を減少させてアルツハイマー型認知症などを発症させる可能性があるのでATPaseを阻害することによりそれらを防止する試みを行っているが、ATPase阻害作用をもつ薬物としてセンソを服用すれば認知症になるのを防ぐことができるかもしれない。つまり、アスピリンが解熱鎮痛薬としてだけでなく少量で血栓予防に利用されているようにセンソも強心薬としてだけでなく少量でアンチエイジング薬として利用できる可能性がある。しかし、センソは高価で手に入りにくいという欠点があり、安全で安価なNa+,K+-ATPase阻害薬たとえばセンソの有効成分である強心ステロイドの抱合体の合成研究などに期待したい。