

(2)-7:江戸時代(1603-1867)-No.2
【くすり文化のあちこち地域探訪】
(1)大和郡山・薬園八幡神社:2025.9.16Mon.、筆者現地にて撮影




*ネット検索情報
[情報1] in薬園八幡神社 奈良寺社ガイド https://nara-jisya.info › 2021 › August › 27

郡山の城下町に鎮座する薬園八幡神社(やくおんはちまん)です。奈良時代平城京の南にあった大宮人のための薬草園に建立されたと伝わる古社です。境内に50種余りの薬草見本園があり、地元では「やこうさん」と呼ばれています。
御朱印はこちら↓↓
薬園八幡神社:由緒・御祭神 当社の創建は『続日本紀』によると天平勝宝2年(749)、大仏完成擁護の神託を奉じた八幡大神は宇佐から都に向かわれ、12月に平城宮の南、梨原の薬園新宮内に設けた神殿に祀られます。新宮の名もこれに因んだとされています。
そしてここより東大寺への遷座の際、八幡大神の分霊をこの新宮内の神殿に留めて奉斎し、薬園の地名を冠して命名されたのが当社の始まりとされています。 その後、足利時代末期に現在の地へ遷座され現在に至ります。
主祭神:八幡大神、比咩大神
境内の様子:当社は他の神社にはない少し変わった物や場所があり、お参りの際にはぜひそちらも見ていただきたいと思います。今回は特におすすめの箇所をご紹介します。
【薬草見本園】

当社の創建にも関わっている薬草が現在の境内にもハナミョウガなど50種余りの薬草見本園があります。
【狛犬】


拝殿の入り口にある元明元年(1781)と銘のある一対の狛犬です。こちらの狛犬は日本で2番目に古い狛犬とされている非常に貴重な狛犬で右側が雌、左側が雄となっています。狛犬の注目点はその古さだけではなく、ともに性器をつけている非常に珍しい狛犬です。
【灯籠】

鉄製や石造の灯籠は多く見るかと思いますが、当社には南部鋳物製の灯籠があります。
灯籠は文政4年(1821)ので、龍が浮き彫りになっているのが特徴的です。土台が8角形であることは皇室に関わりが考えられ、太平洋戦争下での金属提出を免れたのもこのためではないかとされています。
[情報2] in薬園八幡神社|金魚とお城のまち やまとこおりやま …
大和郡山市観光協会 https://www.yk-kankou.jp › spotDetail10

祭神は、誉田別命・息長帯比売命。奈良時代に大宮人のための薬草園があったところ(塩町の御旅所)に建立された神社で、のちに現在の場所に移転された。
本殿は県指定文化財。境内に50種余りの薬草見本園がある。地元では「やこうさん」と呼ばれている。
「薬園八幡神社」写真ギャラリー:※写真をクリックすると大きいサイズでご覧頂けます。




アクセスマップ
一般社団法人 大和郡山市観光協会〒639-1132 奈良県大和郡山市高田町92-16(市民交流館[きんぎょの駅])
TEL:0743-52-2010 / FAX:0743-52-2322
[情報3] 薬園八幡神社(大和郡山市) 奈良まほろばソムリエの会 https://www.stomo.jp › kamisama
雌雄の狛犬に守られ 薬園八幡神社(大和郡山市) 第26回 2022年12月01日掲載

薬園八幡神社の幣殿=大和郡山市材木町で
薬園八幡(やくおんはちまん)神社は郡山城下にあり、創建は奈良時代にさかのぼります。
749年、東大寺の大仏造立の鎮守のため宇佐八幡宮から勧請(かんじょう)した八幡大神(やはたのおおかみ)を分霊し、平城宮の南、梨原の地に祭ったのが始まりで、この地にもとよりあった広大な薬草園に由来する名とされます。750年に今の御旅所(大和郡山市魚町)がある清澄荘薬園に遷(うつ)され、1491年、現在地に鎮座したと伝わります。
表門と鳥居の間にある石燈籠(どうろう)の鋭い文字には、柳里恭(りゅうりきょう)の号が刻まれており、江戸中期に活躍した文人画家、柳沢淇園(きえん)の書であることから、郡山藩主柳沢家との深い関わりがうかがわれます。境内に入ってすぐ左側の燈籠は、江戸末期の安政伊賀地震で亡くなられた人々のために造られたといいます。
狛犬(こまいぬ)は全国的に非常に珍しいもので、本来は特に性別があるものではありませんが、それを示す特徴があり、向かって右側の愛嬌(あいきょう)のある阿形(あぎょう)がメスで、左側の威厳を感じる吽形(うんぎょう)がオスです。また、鎌倉時代から伝わる手のひらサイズの狛犬1対が本殿に大切に所蔵されています。
本殿は一間社隅木入春日造(いっけんやしろすみぎいりかすがづくり)で、正面は蔀戸(しとみど)となっており、1759年に改築、2009年にも改修されています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 佳山隆生) (住所)大和郡山市材木町32
(祭神)八幡大神、比咩神(ひめがみ) (交通)JR郡山駅から徒歩約5分、近鉄郡山駅から徒歩約10分 (拝観)無料。約50種の薬草見本園あり (駐車場)無
(電話)0743・53・1355
[情報4] in薬園八幡神社 – 神社検索(奈良) jinja-net.jp https://www.jinja-net.jp › jinjacho-nara
由緒:当社は、奈良県大和郡山市材木町32番地に鎮座しており、八幡大神、比・神をお祀りしている。当社の創建は奈良朝孝謙天皇、天平勝宝元年にして今より1230年前(昭和62年まで)勅命を以って従四位上石川朝臣年、従五位上藤原魚名等が豊前国宇佐神宮より平城の宮南梨子原(内侍原を云う往昔近衛府の領地にして今の郡山城内一円なり。)の清地に神殿を造営してここに迎え祀りしを同2年9月清澄庄藥園(今のお旅所なり)の地に遷座あり後再び移しかへて延徳3年以来南藥園
なる現社地に鎮祀せられたるなり。蓋藥園八幡神社は聖武天皇の勅定にして常に朝廷の御崇敬厚
く勅額神階神領を給ひ、或は奉幣に預り或は社殿の造修を受けつつ在りしが星霜を経て幕府の政
権に入り遂に絶へ僅かに藩主等の尊敬を受け天井、本庄、塩庄の総社として存ししを明治維新と
ともに当町産土神社として鎭り給ふものなり。(御霊験と藥園)聖武天皇天平年間に悪疫流行し諸
民多く臥して辛苦を嘗めしかば天皇深く御燐悠ましまし諸国の神祗に幣を奉じて為民祈祷(きと
う)なさしめ給ふ時に宇佐八幡大神の御帳記によりて宮南なる塩の庄の野山に生ずる薬草を湯薬
として疫民に給ふれば服する者は悉く救療せられ全く安寧(あんねい)を得るに至りぬ。是より
奈良朝の施藥院は起り典藥寮の藥園ここに始まるなり。この地は勝宝元年11月25日大嘗会を
行ひ又翌2年春正月朔群臣に饗癒を給ひし所なるべし。本殿は奈良県文化財。


[情報5]in薬園八幡神社|大和郡山市 奈良県神道青年会 http://www.narashinsei.com › search ›
御由緒: 当社の創建は奈良朝孝謙天皇代の天平勝宝元年であり、『続日本記』の詳述のとおり、藤原広嗣の乱の平定と聖武天皇の病気平癒の祈願、さらに大仏造顕に協力する神として宇佐の八幡大神はあらたかな霊験を現わされ、その絶対的神威は中央第一の神として朝廷の厚い崇敬をうけるに至った。 大仏完成擁護の神託を奉じた八幡大神は宇佐から都に向かわれ、平城京の南、梨原の薬園新宮内に設けた神殿に迎え祀られる。そして、ここより東大寺へ遷座の際、八幡大神の御分霊をこの新宮内の神殿に留めて奉斎し、由緒ある薬園の地名を冠して命名されたのが、すなわち当社の創始である。そして天平勝宝二年九月今の御旅所の地清澄壮薬園に遷座され、時が移り延徳三年にいたり現社地の南薬園に鎮祀せられた。 近世に至り、藩主等の崇敬もうけ、薬草園地域すべての氏子をもって存する天井、本庄、塩ノ庄等の総社となり、薬園の旧蹟に厳存して歴史を誇る社頭を保持しつつ、市の中心部地域の殆どを氏子に擁する産土神として親しまれ崇められ
ている。

