がんが宿主の肝臓に及ぼす悪影響を解明 東北大学などの研究グループ

　がんは宿主個体の肝臓にさまざまな悪影響を及ぼす。だが、その全貌は未だ明らかではない。特に、栄養や酸素の勾配に応じて空間的に遺伝子発現を変化させるしくみが存在する肝臓にどのような影響が生じるかは不明であった。
　東北大学加齢医学研究所生体情報解析分野河岡慎平准教授 (兼務：京都大学医生物学研究所 臓器連関研究チーム 特定准教授) らの研究グループは、１細胞トランスクリプトームと空間トランスクリプトームという二つの手法を組み合わせることで、がんが宿主個体の肝臓の空間的遺伝子発現パターンを撹乱することを発見した。
　この研究は、がんによる肝臓への悪影響の新たな側面を明らかにするもので、がんによって宿主個体の肝臓に生じる異常の全貌を理解するための重要な基盤となることが期待される。
　同研究成果は2023年1月24日に英国の学術誌であるCommunications Biology電子版に掲載された。
　進行がんは身体にさまざまな悪影響を及ぼす。その実態は、宿主個体の臓器や細胞におけるがん依存的な異常の集まりである。これらの異常は臨床的にはがん悪液質 として知られ、患者の生活の質や生命予後を著しく悪化させる。医療費を増大させることも知られており、がん悪液質を適切に制御する方法の開発が望まれている。だが現時点では、がんによって身体に生じる不調を強力に抑制する方法は見つかっていない。がんに起因する病態の全貌が正確に理解されていないことがその一因であると考えられる。
　河岡氏らの研究グループは、「がんに起因する不調に関わる宿主側の因子を見つける」というアプローチによってこの問題に取り組み、がんが肝臓に与える影響に着目してきた。研究方法は、がんを発生させたマウスの肝臓を採取し、これを破砕、肝臓に含まれる分子を抽出して分析するという手法を採用してきた。
　だが、これまでの手法には二つの課題があった。肝臓には肝細胞や免疫細胞など、さまざまな細胞が含まれている。肝臓全体を破砕して一挙に分析した場合、測定した分子がどの細胞に由来するかという情報を得ることはできない。
　また、肝臓には空間的に制御された構造が存在する。同じ肝細胞であっても、酸素や栄養を受け取りやすい位置にある肝細胞とそうでない肝細胞では、遺伝子の発現やその機能に違いがある。
　これまでの手法では、肝臓に含まれる一つ一つの細胞や空間的な遺伝子発現パターンに対してがんがどのように影響するのかを明らかにすることはできなかった。
　そこで、今回、研究チームは、1細胞トランスクリプトーム ならびに空間トランスクリプトームという技術を用いて、この課題に取り組んだ。乳がんマウスモデルの肝臓を取り出し、がんによる肝臓への影響を、1細胞の解像度で、かつ、空間的な構造を保持したまま調べた。この二つのデータを統合的に解析することで、「１細胞の解像度」と「空間解像度」という二つの軸でこれまでの研究を発展させた。
　その結果、乳がんマウスの肝臓において、空間的な遺伝子発現パターンが撹乱されていることがわかった。興味深いことに、この撹乱は、生物学的な経路ごとに固有であった。
　例えば、アスパラギン酸に関わる代謝は栄養・酸素に富んだ領域で活発である。アスパラギン酸代謝に関わる遺伝子の空間的な発現パターンは、がんによる影響をそれほど強く受けなかった。
　その一方で、解毒系の代謝経路は栄養・酸素に乏しい領域で活発である。このパターンはがんによってほぼ失われていた。このほか、急性期応答が栄養・酸素に富んだ領域で活発になっていることもわかった。
　これら肝臓の空間的な遺伝子発現パターンが、生物学的な経路ごとに異なる様態で撹乱されていることを発見した。空間的な肝機能制御という根本的なプロセスががんによって破綻するという新しい発見であり、同研究により、がんが肝臓に与える影響に関する理解を深める基盤を構築できたと考えられる。
　今後同研究グループは、今回の研究を基盤として、がんが肝臓に与える悪影響の全貌を理解し、かつ、これを制御するための手法の開発を推進する。
　重要な課題として、今回の成果は一つのマウスモデルで得られたもので、同成果の一般性はこれから検証する必要がある。
　特に、ヒトで同様の異常が起こっているのかを明らかにすることが重要だ。がんによる宿主の病態生理はさまざまな異常が関わる複雑なものである。河岡氏らは、「今回のような研究を積み重ねることで、がんによって全身に不調が生じるのはなぜか、がんによって命を落とすのはなぜなのか、という根本的な疑問に答えていく」考えだ。