大阪の「とめの祭」として名を馳せる大阪道修町・少彦名神社の「神農祭」が11月22、23日に開催される。道修町は、江戸時代から薬問屋や製薬関連企業が軒を連ねる「薬の町」として知られ、少彦名神社は「疫病退散・病気平癒」の神社として多くの人々に親しまれてきた。
今年も、コロナ禍で各地の神社の大祭が自粛・縮小を余儀なくされたが、こうした中、神農祭は、昨年作成された「神農祭での新型コロナウイルス感染防止ガイドライン」に沿った強固な安全対策の下、‟新型コロナ感染の完全収束”を祈念して開催される。
そこで、本年の祭典委員長を務める田村恵昭氏(田村薬品会長)に、祭典委員長を引き受けた感想や抱負、薬の町道修町の社会的役割などを聞いた。
「今回、神農祭の祭典委員長をお引き受けすることになり身の引き締まる思いである」田村氏は、開口一番、神妙な面持ちでこう語る。
さらに、「田村薬品は、伝統ある神農祭の祭典委員長をお引き受けする医薬品メーカーとして、まだまだ力不足だが、水野正己祭典副委員長(第一三共関西支店長)とともに精一杯務めさて頂きたい」と訴求する。
田村薬品は、昭和9年、田村信一氏が奈良県で個人創業した「亜細亜薬品商行」をルーツとする。昭和23年に、奈良県御所市に田村薬品工業が設立。
その後、念願の道修町に進出し、少彦名神社隣ビルに本拠を構えて10年の節目の年に、田村会長が栄えある神農祭の祭典委員長を引き受ける運びとなった。
田村薬品は、少彦名神社横に自社ビル(T・M・B道修町ビル)本社を構えてから毎年、神農祭ではショウガ湯の振る舞いを行っており、参拝者の心と体を温めてきた。「奈良県流のおもてなしではあるが、好評を得ている」と話す田村氏。「少彦名神社の隣に本社が移転できたのも、大きな縁を感じる」と敬神の念が厚い。
同社は、道修町に本社を移転してから、薬祖講、大阪薬業クラブ、大阪医薬品協会(現関西医薬品協会)にも加盟し、道修町との造詣もより一層深まっていった。田村氏は、「本社移転の挨拶に行くと、『うちの会社も奈良出身です』と言われる方が多く、田村薬品が道修町に溶け込むのにそう時間はかからなかった」と振り返る。
大阪市内や道修町に拠を構える製薬会社のルーツを辿れば、武田薬品、旧藤沢薬品、ロート製薬、ツムラ、小城製薬など、奈良県出身の創業者は少なくない。その理由は、奈良県は太古の時代から薬草が取れることに起因する。滋賀県もまた同様である。
小さい頃から薬草に慣れ親しんできた人々が奈良や滋賀で製薬の生業に就き、独立して店を構え、大きく成長して道修町に進出して行った。もしくは、奈良や滋賀に構えていた店がだんだんと大きくなって大阪に進出し、現在の道修町が形成されていった。
道修町には、江戸時代から‟家持ち”の制度があり、土地と建物を所有しているお店(おたな)に公約の権利・義務が与えられた。現在も、道修町に土地と建物を所有するのは大変な企業力を要するのは言うまでもない。
こうした背景から、「道修町の持ち土地に自社ビル本社を構えて10年の節目の年に、神農祭の祭典委員長を務めることは、後に田村薬品の業績の一つになるだろう」という薬祖講の配慮の下、神社側から田村薬品に祭典委員長の役割が申し入れられた。
気になる神農祭の新型コロナ感染対策については、「昨年の祭典委員長の多田正世大日本住友製薬会長が、‟神農祭での新型コロナウイルス感染防止ガイドライン”を作成してくださり、感染リスクの低減に大きく寄与した」と明かし、「今年もそれを活用させて頂けるので、大変あり難い」と感謝の意を示す。
その上で、「新型コロナの完全収束を祈念する神農祭で新型コロナ感を起こすわけにはいかないので、用心に用心を重ねた上での開催となる」と強調する。
同ガイドラインには、新型コロナウイルス感染防止のための細かなルールが規定されており、リスク低減につながった。安全対策では、「露店は出さない」、「境内への参拝者の入場を調整し、ソーシャルディスタンスを保つ」、「直会(なおらい)、22日の酒席、23日の茶席は行わない」
なお、道修町通りの提灯・大笹飾り、神虎・撤饌の授与に関しては、例年通り執り行う。
また、これまで道修町資料保存会と日本抗加齢協会が別々に行ってきた講演会を、昨年から合同で「神農祭市民公開講座」として無観客で実施してYouTube配信するようになった。
今年も本宮の23日に、森下竜一氏(大阪大学大学院医学系研究科 臨床遺伝子治療学寄附講座教授)が、「大阪の産学連携と2025年大阪万博の展望」をテーマに講演し、その模様がYouTube配信される。
田村氏は、「これまでのリアルでの講演会開催では、300人程度しか収容できなかったが、昨年はYouTubeで4500人くらいの人が視聴している」と報告し、「コロナ禍において、新しいスタイルを取り入れたことが功を奏した」と感想を述べる。
また、神虎の授与については、「来年は寅年ということで、神農祭の張り子の虎の笹は、祭りの時期から来年の節分あたりまでお渡しすることができる」と紹介。
さらに、「12年前の寅年も神虎が非常にたくさん供出されている。今回、コロナ禍において広く授与できるのは明るい希望である」とほほ笑む。
田村氏は、神農祭と薬の町道修町の社会的役割にも言及し、「コロナ禍における精神的支柱」と「画期的な医薬品の創出」を指摘する。
文政5年(1822年)、大坂でコレラが流行した時、道修町の薬種仲間が疫病除薬として丸薬(虎頭殺鬼雄黄圓)に合わせて「張子の虎」を配布し、その効能が高かったため、神農さんの「張子の虎」の御守が、疫病退散・病気平癒・健康成就の象徴として全国的に知れ渡るようになった。
昨今では、「新型コロナウイルス退散・感染収束」を祈願する参拝者があとを絶たない。
「そういった歴史や近況からも、コロナ禍においては我々が皆様の精神的支柱となって支えていかねばならない」と訴えかける。
画期的な医薬品の創出については、「塩野義製薬の新型コロナワクチンと治療薬、田辺三菱製薬のワクチンが開発目前まできている。こうした薬剤が創出されるのは、道修町の歴史と伝統によるところが大きい」と力説する。
さらに、「塩野元三薬祖講講長おっしゃるように、道修町には、昔からたとえライバル会社であっても切磋琢磨しながら協力できるところは協力して世の中の役に立つ医薬品を創出するという素晴らしい風習がある」と断言。
その上で、「こうした医薬品業界に携わる道修町の人々の強い思いを、神農祭を通じて皆様にお届けしたい」と抱負を述べた。