喫煙と前立腺がん悪化の関連を説明する新たな分子機構発見 岐阜大学

 岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科の遠藤智史准教授らの研究グループは、ニコチンの主要代謝物であるコチニンが前立腺がん細胞の増殖を促進する新たな分子機構を明らかにした。
 ニコチンの主要代謝物であるコチニンが、アンドロゲン存在下で前立腺がん細胞のアンドロゲンシグナルを増強し、がん細胞増殖を促進することを見出したもの。同研究成果は、喫煙と前立腺がん悪化の関連を説明する新たな分子機構として注目される。
 前立腺がんではアンドロゲン受容体(AR)ががん細胞の増殖に重要な役割を果たすが、喫煙ががん進行に影響する仕組みは十分に分かっていなかった。
 同研究では、コチニンがアンドロゲン前駆体存在下で、ARシグナルの指標となるPSA発現とがん細胞増殖を促進することを発見した。さらに、コチニンが分子シャペロンHSP70とARとの結合を強め、ARおよびAR-V7をタンパク質分解から保護することで、その作用を増強することを明らかにた。同成果は、喫煙と前立腺がんの進行・治療抵抗性との関連を説明する新たな分子基盤を示すものだ。
 これらの研究成果は、本年8月19日に、国際学術誌『Archives of Biochemistry and Biophysics』のオンライン版で発表された。
 前立腺がんは、男性ホルモンであるアンドロゲンに依存して増殖するがんです。そのため、アンドロゲンの産生やアンドロゲン受容体(AR)の働きを抑える治療が広く行われている。
 だが、治療を続けるうちに、アンドロゲンを低下させても増殖する「去勢抵抗性前立腺がん(CRPC)」へ進行する場合があり、治療上の大きな課題となっている。特にCRPCでは、ARの異常や、ARの一部が変化したスプライシングバリアント「AR-V7」が、エンザルタミドやアビラテロンなどのARシグナルを標的とした治療への抵抗性に関与することが知られている。
 一方、喫煙は多くのがんのリスク因子として知られている。前立腺がんについては、喫煙と発症との関係に不明な点が残るものの、診断時に喫煙している患者では、病気の進行や予後、特にARシグナル阻害薬による治療成績が悪化する可能性が共著者によって報告されていた [Shiota et al., Prostate, 2019;79:1147]。だが、この現象を引き起こす具体的な物質と分子機構は十分に解明されていなかった。
 ニコチンは体内に取り込まれると、主に肝臓で「コチニン」へと代謝される。ニコチンの血中半減期が約2時間と比較的短いのに対し、コチニンは約16~20時間と長く、血中にもニコチンより高い濃度で存在する。そこで同研究では、「ニコチンそのものではなく、体内で長時間存在するコチニンが前立腺がんのアンドロゲンシグナルに影響しているのではないか」という仮説のもと、その作用を解析した。

ニコチンではなくコチニンがアンドロゲンシグナルを増強

 研究グループは、ARおよびAR-V7を発現するヒト去勢抵抗性前立腺がん22Rv1細胞を用いて、ニコチンとコチニンの作用を比較した。ニコチンまたはコチニンを単独で添加しても、ARシグナルの指標となるPSAの発現には大きな変化が認められなかった。一方、アンドロゲンの前駆体である5α-androstane-3,17-dione(5α-Adione)とともに処理すると、コチニンはPSA発現を有意に増強したが、ニコチンでは同様の作用は認められなかった。
 さらに、細胞増殖マーカーKi67の解析から、コチニンは5α-Adioneによって誘導される前立腺がん細胞の増殖をさらに促進することが明らかになった。


図1. コチニンによるアンドロゲンシグナルと前立腺がん細胞増殖の増強

(A)5α-Adione処理によるPSA mRNA発現量変化。(B)ニコチンまたはコチニン処理によるPSA mRNA発現量変化。(C)5α-Adione存在下におけるニコチンまたはコチニン処理によるPSA mRNA発現量変化。(D–F)AR(緑)、増殖マーカーKi67(赤)および核(DAPI、青)の免疫蛍光染色。

コチニンはARとAR-V7を「分解されにくく」する

 次に、コチニンがどのようにARシグナルを増強するのかを解析した。まず、AKR1C3、DHRS11、HSD17B3、SRD5A1など、細胞内でアンドロゲンの合成にかかわる酵素について調べたが、コチニンによる明らかな発現増加は認められず、ARシグナルの増強における関与が低度であることが示唆された。
 そこでARタンパク質そのものの安定性を調べたところ、コチニンはアンドロゲン存在下でARタンパク質の寿命を有意に延長することが分かった。さらに重要なことに、コチニンは、去勢抵抗性前立腺がんの治療抵抗性との関連が知られているAR-V7についてもタンパク質の安定性を高めた。
 つまりコチニンは、アンドロゲンを多く作らせるのではなく、「がん細胞の増殖スイッチとなるARを壊れにくくする」ことでアンドロゲンシグナルを増強することが明らかになった。

ARとHSP70の結合増強がAR安定化に関与

 ARは細胞内で不要になると、ユビキチン・プロテアソーム系によって分解される。だが、コチニンはARの分解に関係する代表的なE3ユビキチンリガーゼの発現や、プロテアソーム全体の活性には大きな影響を与えなかった。
 一方、タンパク質の正しい構造や安定性を維持する「分子シャペロン」であるHSP70に着目したところ、コチニン存在下ではARとHSP70の結合量が増加することを見いだした。これらの結果から、コチニンはプロテアソームを全面的に止めるのではなく、ARとHSP70の相互作用を強めることでARおよびAR-V7を選択的に分解されにくい状態にし、結果としてアンドロゲンシグナルを持続させると考えられる。

図2. コチニンによるAR・AR-V7安定化の分子機構

(A、B)5α-Adione存在下における細胞質および核内のAR、AR variants(AR Vs)のタンパク質発現とその定量。(C–F)Cycloheximide (CHX)chase assayによるAR、AR VsおよびAR-V7のタンパク質安定性解析。(C、E)5α-Adione存在下におけるコチニンの影響。(D、F)5α-Adione非存在下におけるコチニンの影響。(G)免疫共沈降法によるARとHSP70およびHSP90との相互作用解析。

 同研究により、ニコチンの主要代謝物であるコチニンが、ARとHSP70の相互作用を介してARおよびAR-V7を安定化し、前立腺がん細胞のアンドロゲン依存的な増殖を促進するという新たな作用機構が明らかになった。
 一方、同研究は培養細胞を用いたin vitro研究であり、コチニンが実際の生体内で前立腺がんの進行や治療抵抗性を促進することを直接証明したものではない。
 今後は、慢性的なコチニン曝露を再現した動物モデルを用いて、血中コチニン濃度やアンドロゲン濃度を厳密に管理しながら、腫瘍増殖やAR・AR-V7の安定化への影響を検証する必要がある。
 また、エンザルタミドなどのARシグナル阻害薬に対する治療応答への影響についても検証を進めることで、喫煙と前立腺がん治療成績との関連をさらに明らかにしていく。
 将来的には、喫煙歴やコチニン曝露を考慮した前立腺がんの治療戦略や、ARのタンパク質恒常性を標的とする新たな治療法の開発につながることが期待される。

◆研究者のコメント
 喫煙と前立腺がんの予後との関連は以前から報告されてきたが、その背景にある分子機構には多くの不明点が残されていた。今回、ニコチンそのものではなく、体内でより安定して存在する代謝物「コチニン」がARとAR-V7の分解を抑えるという、これまで知られていなかった仕組みを見い出した。特に、治療抵抗性との関連が知られているAR-V7まで安定化されたことは重要な知見と考えている。
 一方で、今回の成果は培養細胞を用いた基礎研究であり、「コチニンがヒトの前立腺がんを悪化させる」と直接結論づけることはできない。今後、動物モデルや臨床的な解析を重ねることで、喫煙と前立腺がんの進行・治療抵抗性との関係をより明確にし、患者さんの治療につながる知見へ発展させたいと考えている。

タイトルとURLをコピーしました