エピジェネティック遺伝子起因疾患の新たな治療戦略への応用に期待

福井大学学術研究院工学系部門生物応用化学講座の沖昌也教授、大学院工学研究科大学院生の横澤拓馬氏らの研究グループは、過去の遺伝子発現変動の経験が、将来の外的刺激に対する遺伝子発現制御に影響を与え、細胞間の応答性の違いを生み出す要因の一つであることを明らかにした。
細胞は同じDNAを持っていても、外部刺激に対する遺伝子の応答性は違いを示す。このような遺伝子発現応答のばらつきは、環境適応や細胞機能の多様性に関わる重要な特徴であるが、どのようなメカニズムで生じるのかについては十分に分かっていなかった。
沖氏らは、出芽酵母を用いて細胞ごとの遺伝子発現状態を長時間にわたり一細胞レベルで追跡することで、こうした「記憶」として働く現象を同定した。さらに、一度遺伝子発現を経験した細胞では、「再び発現がしやすくなる」という従来考えられていた「正の記憶」とは逆の、過去の発現経験によって将来の応答性が低下する「負の記憶」の存在を見出した。
これら研究成果は、細胞の不均一性が形成される仕組みの理解につながるもので、今後、DNA配列の変化を伴わないエピジェネティックな遺伝子が起因して惹起する「がん」や「糖尿病」など数多くの疾患に対する新たな治療戦略アプローチに寄与するものと期待される。研究成果は、5月22日、米科学誌電子版でオンライン掲載された。
遺伝子の発現は主に2つの仕組みによって制御されている。一つが、DNA 配列そのものが変化することで、遺伝子の働きが変わる制御機構である。もう一つは、DNAの配列は変化せず、DNA の化学修飾(メチル化など)や、DNAが巻き付いているヒストンタンパク質の修飾状態の変化によって、DNA の折りたたまれ方(クロマチン構造)が変化し、その結果として遺伝子の働きが変化する制御機構である。後者の DNA 配列の変化を伴わずに遺伝子の働きが制御される仕組みを「エピジェネティックな発現制御」と言われている。
生物の細胞は同じDNA を持っていても、外部からの刺激に対する遺伝子発現応答には細胞ごとの違いが生じることが知られている。こうした細胞間のばらつきは、微生物の環境適応から高等真核生物における細胞分化まで、様々な生命現象に関わる特徴として考えられている。だが、同一の遺伝子情報を持つ細胞集団において、なぜ個々の細胞が異なる応答を示すのか、その仕組みは十分に解明されていなかった。このような不均一性の背景には、DNA 配列そのものではなく、DNA 配列に含まれる遺伝子の使われやすさを制御する仕組みが関与するものと考えられる。
特に、クロマチン構造を介したエピジェネティックな発現制御は、遺伝子の使われやすさを規定する重要な要因として注目されている。だが、それらがどのように時間的に変化し、細胞ごとの応答性の違いを生み出すのかについては、依然として不明な点が多く残されていた。
そこで研究グループは、モデル生物である出芽酵母を用い、単一細胞レベルで遺伝子発現状態を解析することで、細胞間の不均一性が生じる要因の解明に取り組んだ。具体的には、出芽酵母のGTPの枯渇に応答して発現制御されるIMD2遺伝子に着目。細胞ごとの不均一な状態を捉えるため、対象遺伝子の制御領域を保持したまま、蛍光タンパク質遺伝子をレポーターとして導入し、遺伝子発現を蛍光シグナルとして可視化した。

この系を用いて、エピジェネティックな遺伝子発現状態を一細胞レベルで解析した。最初に、GTP枯渇刺激を与え、各細胞の遺伝子発現状態を解析した結果、同じGTP枯渇刺激に対しても、強く応答する細胞と弱く応答する細胞が存在していることが確認された。
また、その応答強度には連続的な分布があり、細胞集団内に多様な応答性を示す細胞が存在していることが明らかになった。さらに、この不均一な状態を生み出す要因を解析するため、GTP 枯渇刺激を与える前後の遺伝子発現状態を、長時間にわたり一細胞ごとに追跡した。

その結果、応答性の違いはランダムに生じるものではなく、GTP枯渇刺激を受ける以前の遺伝子発現変動のパターンに依存していることが明らかになった。つまり、細胞は過去の遺伝子発現変動のパターンを「記憶」として保持し、その「記憶」が将来の GTP 枯渇刺激に対する応答性を規定していることが示された。
特に、同研究では、従来の概念とは異なる特徴が見出された。これまでの研究では、ある遺伝子が一度発現すると再び発現しやすくなる正のフィードバックを持つ「記憶」が主に知られていた。だが、同研究では逆の、遺伝子発現の「記憶」によって、その後の刺激に対する応答性が低下する「負の記憶」の現象が確認された。
同研究成果は、細胞間の遺伝子発現制御における不均一性が単なる確率的なゆらぎではなく、細胞が獲得する発現経験に基づいて形成される可能性を示すものである。また、細胞記憶が応答を促進するだけではなく、抑制方向にも働くことを示した点で、遺伝子発現制御の新たな概念の提示につながる成果である。
今後は、同研究で見出した「負の記憶」が、どのような分子メカニズムによって生じるのかについて解明を進める。細胞の不均一な遺伝子発現制御がどのような条件下で生じるのかについて、刺激の条件や種類、培養環境などを変化させた解析を行い、その共通性や規則性の解明を目指す。
今回見出された「負の記憶」が特定の遺伝子や応答経路に限定される現象なのか、あるいはより広く普遍的にみられる現象なのかについて検証を進める。
17日に福井大学で会見した沖教授は、「ヒトは、約2万3000個の遺伝子を保有している。だが、全ての遺伝子が細胞内で使われているわけではない。生活習慣の乱れにより、ある細胞で使われるべき遺伝子が使われなくなったり、使われてはいけない遺伝子が使われるようになって生活習慣病が惹起する」と説明。その上で、「こうしたDNA配列の変化を伴わないエピジェネティックな遺伝子が起因して惹起する疾患では、それぞれの遺伝子に着目して研究が進められている。今回の研究成果である“細胞の不均一性が形成される仕組み”の解明がこうした研究に応用されれば、新たな治療戦略のアプローチとなる可能が期待される」と抱負を述べた。
