複数ガス中毒対応救急救命医薬品としての実用化に期待
北岸宏亮同志社大学理工学部機能分子・生命化学科教授らの研究グループは10日、硫化水素を生体内で捕捉して、それを無毒化する化合物の開発に成功したと発表した。
同志社大学の研究グループでは、2023年2月に、一酸化炭素(CO)およびシアン中毒の同時解毒剤として、hemoCD-Twinsの開発に成功している。今回は、このhemoCD-Twinsの構成成分であるhemoCD-PおよびhemoCD-Iのそれぞれについて、硫化水素に対する結合性能を調査し、その結果hemoCD-Iが生体内の硫化水素の結合部位(ヘモグロビンなど)よりも約10倍程度優れた結合性能を示すことが新たに判明し、中毒の解毒剤として応用できることを明らかにしたもの(図1)。
hemoCDとは、同志社大学の北岸宏亮教授らの研究チームによって研究開発が進められている人工ヘモグロビン化合物であり、ヘム鉄類似のポルフィリンと呼ばれる化合物を環状オリゴ糖であるシクロデキストリンで覆った特徴的な化学構造を有しており、血液中で酸素やCOなどのガスと結合することから、人工血液の素材としての研究が進められている。
これらの研究成果は「Detoxification of hydrogen sulfide by synthetic heme model compounds」の題目で、国際学術誌Nature Portfolio出版のScientific Reports誌に12月10日付(UK時間)で公表される。
硫化水素は、火山や温泉地などで自然発生し、腐卵臭を示すガスであり、低濃度(約0.3 ppm、ppmは100万分の1単位)では独特の臭いを発するが、50 ppmくらいになると嗅覚が麻痺し臭いを感じなくなる。
一方、それくらいの濃度になると毒性が顕著に現れはじめ、100ppm以上の濃度で吸入すると死に至る可能性が出てくる。空気よりも比重が高いため地下にたまりやすく、石油•ガス生産工場においては最も危険な化学物質である。硫化水素中毒による死者は例年一定数発生している(資料1)。
下水処理作業、農業施設、あるいは学校での理科実験などにおいても、不意に硫化水素ガスが発生してしまうことで中毒となり、救急搬送される例が年間十数例報告されている。
最近では2024年10月13日に中国のバイオ工場で硫化水素中毒による7名の死亡事故が報告された。さらに2008年以降、家庭内で硫化水素を発生させる自殺や自殺未遂事件が急増し、特に10-30代の若い世代において硫化水素による自殺が蔓延していることが社会問題となっている(「硫化水素使用 1000人超」日本経済新聞夕 刊2009年5月14日掲載)。
硫化水素中毒の現場では患者本人だけでなく、その場に居合わせた医師や看護師にも2次被害が及ぶ危険性がある。現在、硫化水素中毒に対し即効性のある治療薬は残念ながら医療実装されておらず、酸素換気でゆっくりと寛解させるしか方法がない状況である(資料2)。
過去には青酸(シアン)ガス中毒に用いられる治療薬(亜硝酸アミル等)が用いられたケースも報告されているが、件数が少ないために効果は十分に検証されていないのが現状だ。
こうした中、今回の研究では、hemoCD-Iが硫化水素と反応し、硫化水素イオンを結合したhemoCD-Iは空気中の酸素と反応することで、有毒な硫化水素から無毒な硫酸イオンあるいは亜硫酸イオンへと効率よく変換することを見出した(図2)。
解毒作用はマウスを用いた動物実験によって実証されており、致死量以上の硫化水素ナトリウムを投与したマウスにおいて、中毒症状が出た後すぐにhemoCD-Iを投与することにより、約8割のマウスが死亡を免れ、迅速に体内パラメーターが回復することを証明した。さらに、投与したhemoCD-Iは分解されずそのまま尿中へと排泄されることを解明した。
同研究成果は、火災などで発生するガス中毒の治療薬シーズとして開発を進めているhemoCD-Twinsの治療適用範囲を拡大するものだ。研究リーダーである北岸教授は救急救命医薬品の実用化にむけたさらなる進展を目指している。
◆北岸宏亮教授のコメント 救急救命の現場ではどのような原因で中毒症状に陥っているのか、医師でも迅速に判断を下すことは難しい。環状オリゴ糖で覆われているhemoCDは、患者に投与しても毒性がなく、すべて尿中に排泄されるため、安全性が極めて高い。
今回の成果により、hemoCD-Twinsは少なくともCO、シアン、硫化水素いずれかの中毒患者であれば、投与により治療効果を発揮することがわかった。
救急救命の現場あるいは救急搬送中に迅速にhemoCD-Twinsを投与できるようになれば、多くのガス中毒患者の命を救えるだろう。患者が安心して治療を受けられるよう、また医師が安心して患者に投与できるように、薬の安全性の担保につとめたい。