脳卒中患者の新しい治療法提案などへの応用に期待
早稲田大学人間科学学術院の大須理英子(おおす りえこ)教授の研究グループは、左右一方の手首に極短時間(85ミリ秒)の電気刺激を与えることで、刺激側の手を使用する頻度を高めることに成功した。同知見を活かすことで、脳卒中患者の新しい治療法など提案が期待される。。
対象物が提示される直前に片方の手首に「瞬間的な電気刺激」を与えて手の選択にどのような影響があるかを調査し、刺激を与えた側の手を使う確率が増加し、判断にかかる時間が短縮されることを明らかにしたもの。
我々の日常生活では、物をつかむ際にどちらの手を使用するかを無意識に選択しており、右側の物には右手、左側の物には左手を使うのが一般的であるが、中央にある物の場合、状況に応じて選択が変わる。最近の研究では、脳波計を用い、物を認識する前から脳活動が手の選択に影響を与える可能性が示唆されていた。
麻痺した手を使用しなけらば、回復した手の動きが悪化するため、リハビリテーションにおいて手の使用の促進は重要だ。これまでのリハビリでは、日常生活で麻痺手の使用を促すために、当事者に麻痺手の使用に関する目標設定や日記の記載を求めるなど、当事者の意識的な努力に任されており、継続が難しいという問題点が指摘されていた。
一方で、無意識に生じる手の選択に関する脳メカニズムは明らかになっていないことが多く、脳メカニズムに基づいて無意識のうちに麻痺手の使用を促すことができるリハビリテーションは実施されていなかった。
こうした中、今回の知見を活かすことで、例えば脳卒中患者の新しい治療法を提案できる可能性がある。同研究成果はSpringer Nature社が出版する「Scientific Reports」に本年9月30日にオンライン掲載された。
大須氏らは、手首にある正中神経と尺骨神経への極短時間の電気刺激が、刺激側の手に関する脳部位の神経活動に変化を生じさせることに着目した。実験参加者は、パソコン画面の様々な場所に出現する1つの黒い丸(ターゲット)に、左右一方の手をすばやく選択して到達させる(リーチ)課題を行った。
ターゲットが提示される直前(0~600ミリ秒前)に、片方の手首から極短時間(85ミリ秒)の電気刺激を実施した。刺激の強さは筋肉の収縮を生じさせず、刺激感覚のみ生じさせる強さとした(電気刺激装置)。
この電気刺激が、図1の「右手と左手を半々の確率で使うライン(選択均衡線)」と反応時間(ターゲットが提示されてから手を選択してリーチを開始するまでの時間)に、変化を及ぼすかを調べた。
その結果、刺激しない条件および両手首に刺激する条件と比較して、片方の手首への刺激によって、選択均衡線が反対側にずれ、刺激側の手の選択エリアが広がった。さらに、過去の研究で、反応時間は手の選択に関する難易度を表す指標として使われ、反応時間が短いほど、手の選択が容易であることを示す。
同研究では、片手刺激条件で、反応時間が著しく短くなったことから、手の選択のプロセスを促進する効果が認められた。これらの結果より、ターゲットが出現する直前の手首への電気刺激が、刺激側の手の選択を促すことが明らかになった。
づ研究では、ターゲット提示前に片方の手首に極短時間の電気刺激を行うことで、刺激側の手の選択を増加させることを明らかにした。この結果は、脳卒中によって片側の体が麻痺した当事者に対して、麻痺した手を使うことを促す治療として応用できる可能性がある。
リハビリテーションの現場では、麻痺した手を再び動くように治療するが、ある程度動くようになっても、麻痺した手は、麻痺していない健康な手と比べると使いにくくなるため、健康な手で全てのことをやってしまい、麻痺した手を使用しなくなってしまう場合がある。
生活の中で麻痺した手を使用しないと、せっかく回復した手の動きが悪くなり、さらに使用しなくなってしまう。そのため、リハビリテーションにおいて、手の使用を促す治療はとても重要となる。刺激によって、無意識的に麻痺した手を使用することを促すというアイデアは、新しいリハビリテーションのコンセプトを提案するものでもある。
今後は、本研究の電気刺激が、手の選択に関する脳のメカニズムにどのように影響したのかを、脳波計やfMRIなどの脳活動を計測する手法を活用し検討する。さらに、リハビリテーションにおいて、実際に脳卒中患者に対し効果があるか否かを検証し、臨床応用に向けた検討を行う。
◆研究者のコメント
意思決定は意識にのぼらないプロセスも多く、その脳内機序は明らかになっていないケースも多くある。「手の選択」という、日常生活での意思決定を通じて得られた今回の知見は、その機序の解明に大きく貢献すると考えられる。
また、リハビリテーションにおいても、脳卒中患者の麻痺した手を使うように促す介入法として応用できる可能性がある。麻痺した手を積極的に使うことは、手の機能を維持・向上させるために重要である。このため、同研究は、神経科学とリハビリテーション科学のどちらの分野からも注目される知見となっている。