匂いの認識を担う遺伝子制御のしくみを解明
新潟大学脳研究所動物資源開発研究分野の福田七穂准教授、理化学研究所脳神経科学研究センターの吉原良浩チームリーダーらの研究グループは、アメリカ国立衛生研究所のKevin Czaplinski博士との国際共同研究により、匂いの認識を担う嗅神経回路の形成にRNA結合タンパク質hnRNP A/Bが重要な役割を担うことを明らかにした。
複雑な構造を持つ神経細胞では、メッセンジャーRNA(mRNA)からタンパク質が合成される場所や時期が厳密に制御されている。同研究結果は、こうした制御に関わる因子を新たに同定し、神経回路の形成や感覚機能を担う遺伝子制御のしくみを明らかにした重要な成果となった。
同研究成果のポイントは、次の通り。
・RNA結合タンパク質hnRNP A/Bは嗅神経細胞の形成期に多く存在する。
・hnRNP A/BはmRNAの特異的な配列を認識して結合し、軸索末端でmRNAからタンパク質が合成されるよう制御する。
・hnRNP A/Bによる遺伝子発現制御は、嗅神経回路の形成と匂いの認識に重要である。
我々の遺伝情報は、DNAから写しとったmRNAの情報をもとにタンパク質が合成され、これらタンパク質が適切な場所ではたらくことにより、細胞の活動へと反映される。
タンパ ク質を細胞内に配置する方法は主に2つあり、多くのタンパク質は、転写されたmRNAから速やかに合成された後、適切な場所へと輸送される。
一方、特定のタンパク質は、mRNAが予め目的の場所に運ばれた後、適切な時期にはじめて合成される。後者の制御は「局所翻訳」とよばれ、神経軸索のような核から遠く離れた場所で迅速に、かつ限られた場所でタンパク質を発現することを可能にする(図1)。
局所翻訳は軸索の形成や維持などに重要であることが知られているが、そのしくみや生物個体での役割については不明であった 。
福田氏らの研究グループはこれまでに、マウスの精子細胞やグリア細胞等で局所翻訳の制御を受ける一群のmRNAに、RNA結合タンパク質hnRNP A/Bが結合することを見出し、解析を行ってきた(Raju et al., 2008, Fukuda et al., 2013)。この研究の過程で、hnRNP A/Bは軸索が活発に伸長する時期の嗅神経細胞で多く発現していることを発見した。
そこで、hnRNP A/Bが嗅神経回路の形成過程で重要な働きを担う可能性を考え、嗅神経細胞におけるhnRNP A/Bの機能を解析した。
まず、hnRNP A/B遺伝子欠損マウスの嗅覚組織を観察すると、成熟な嗅神経細胞の数が減少し、軸索の投射様式に乱れが生じていることが分かった。また、行動解析実験において、匂いを検知して識別する能力の低下が見られた。これらの結果から、hnRNP A/Bは正常な嗅神経回路を形成し、匂いを高精度に検知するうえで必要な因子であることが分かった。
次に、嗅神経細胞でhnRNP A/Bが結合するmRNAを探索した結果、hnRNP A/Bは軸索投射や神経成熟に関連するmRNA群、特にPcdhaやNcam2等の神経細胞接着因子をコードするmRNA群と結合していることが明らかになった。これらの遺伝子の発現様式を解析すると、hnRNP A/B遺伝子欠損マウスでは、PcdhaとNcam2のタンパク質の発現レベルが、軸索末端で局所的に低下していた。
遺伝子配列解析から、Pcdha mRNAの3’側非翻訳領域(3′-UTR)に、RTS(RNA trafficking sequence)と呼ばれるhnRNP A/Bの認識配列が見つかった。そこで、Pcdha遺伝子の3′-UTRからRTSを含む領域を欠失させたマウスをCRISPR/Cas9を用いて作製して解析した。
その結果、Pcdha-UTR欠失マウスでは、嗅神経細胞の細胞体側におけるPCDHAタンパク質の発現に変化は見られないものの、軸索末端におけるPCDHAタンパク質の発現に有意な低下が見られた。
以上の結果から、hnRNP A/Bは認識配列RTSを介して神経回路形成に関わる因子のmRNAに結合し、軸索末端における局所的なタンパク質合成を促進することにより、嗅神経回路の形成と匂いの認識に寄与していることが示された(図3)。
hnRNP A/BやRTSを含むmRNA群は、嗅神経細胞以外の細胞にも発現している。また、hnRNP A/B遺伝子の変異は、神経発達障害との関連性が示唆されている。
今後、局所翻訳におけるhnRNP A/Bの作用機序や、他の細胞におけるhnRNP A/Bの役割を解析することで、神経の発達や機能に関わる遺伝子制御の理解が深まると期待される。