感覚創薬技術への応用で救急患者治療薬等への実用化が期待
関西医科大学生命医学研究所小早川高准教授らの研究グループは2日、マウスにおいて潜在的な生命保護作用を誘導し致死的な低酸素環境での長時間生存を可能にする匂い分子群「チアゾリン類恐怖臭」を発見したと発表した。
それら匂い分子は感覚神経のTRPA1と結合することで、脳幹から中脳に存在する危機応答中枢を活性化し生命保護作用を誘導する原理を解明した。
さらに、高濃度のチアゾリン類恐怖臭を長時間かがせるとマウスを人工冬眠状態に誘導することもできる。TRPA1遺伝子や感覚情報伝達経路はヒトでも保存されている。同研究成果は、匂い分子刺激で潜在的な生命保護作用を誘導する感覚創薬技術に応用できる可能性があり、Nature communications誌などで発表される。
ヒトや動物は危機状態を生き抜く潜在的な生命保護作用を進化させた。だが、どのような保護作用が存在するのか、それら保護作用はどのような刺激により誘導できるのか、さらに、その誘導技術は医療応用できるのかという、いずれの観点からも未解明であった。
先天的な恐怖情動は本来、危機状態で生存確率を上昇させる生体応答を統合誘導する脳の機能であると考えられる。従って、適切な感覚刺激を利用して脳の先天的恐怖情動システムに介入することで、潜在的な生命保護作用が誘導できる可能性がある。
研究グループは、げっ歯類に対して極めて強力な先天的恐怖情動を誘導する匂い分子である「チアゾリン類恐怖臭」を開発し、その効果を検証した。
チアゾリン類恐怖臭刺激は、マウスに低体温・低代謝を誘導でき、数時間以上の連続刺激では人工冬眠状態を安全に誘導できた。だが、チアゾリン類恐怖臭誘導性の低体温・低代謝は自然の冬眠とは代謝や生理応答の特性、誘導に関わる脳システムなどが明らかに異なっていた。
冬眠がエネルギー節約を目的にするのに対し、チアゾリン類恐怖臭が誘導する人工冬眠・生命保護状態は生命保護作用の極大化を目的とすると考えられた。
4%酸素環境では通常のマウスは平均11.7分しか生存できない。驚くべきことに、チアゾリン類恐怖臭で予め刺激したマウスは4%酸素環境で平均231.8分も生存できた。
また、チアゾリン類恐怖臭刺激は、皮膚や脳への血流を阻害した病態モデルにおいても強力な治療効果を発揮した。
従って、チアゾリン類恐怖臭刺激は低酸素障害や脳梗塞などの虚血再還流障害への治療薬として救急医療分野などで利用できる可能性がある。
一方、チアゾリン類恐怖臭が誘導する、低体温、低代謝、低酸素抵抗性は嗅神経、迷走神経、三叉神経の3つの経路により生理応答を誘導することが判明した。さらに、研究チームは、チアゾリン類恐怖臭は迷走神経や三叉神経において機能するTRPA1に直接結合することで活性化し、その結果、脳幹部から中脳に至る経路に情報が伝達されることで、潜在的な生命保護作用が誘導されるという新たな原理を解明した。
医薬品の多くは疾患や外傷により異常が発生した細胞や組織、あるいは、病原菌などに直接作用して治療効果を発揮する。これに対して、チアゾリン類恐怖臭は感覚受容体に作用することで、脳が統合指揮する潜在的生命保護作用を間接的に誘導することで治療効果を発揮する。同発見により提唱された感覚創薬とは、生物が進化の過程で獲得した潜在的な生命保護作用を人為的に誘導する新たな技術概念である。
チアゾリン類恐怖臭が結合するTRPA1受容体、その情報を脳へ伝達する三叉・迷走神経経路、脳幹から中脳に存在する危機応答経路はヒトにおいても存在する。従って、ヒトのTRPA1受容体を適切に活性化するチアゾリン類恐怖臭の種類を決定すれば、救急患者の治療薬などとして実用化できる可能性があり、研究グループは現在研究開発を進めている。