「きれいにする行為」への日本の普遍的意識を確認   花王感覚科学研究所

 花王感覚科学研究所は、国立歴史民俗博物館(館長:久留島浩氏、千葉県佐倉市)との共同研究で、日本人の「きれいにする行為」(=身体・空間の洗浄、片付け、整理整頓)や清潔な状態に対する意識について、民俗学や歴史学的なアプローチから考察を行った。
 同研究により、清潔に対する意識は戦後の高度経済成長期の衛生環境の改善と洗浄行為の習慣化で大きく変化したことが判明。その一方で、「きれいにする行為」は、時代を問わず一貫して、空間や身体をリセットして新たな未来を迎えるきっかけになると信じられてきた実態を確認した。例えば、江戸時代の年末のすす払いは、新年の年神様を迎える「信仰的儀礼」であったが、これは現在も、過去の汚れを拭って新年を迎える年末の大掃除として継承されている。
 江戸時代の大奥の、年末のすす払いの様子を描いた浮世絵(図1)は、「きれいにする行為」は、空間や身体をリセットして新たな未来を迎えるきかっけになると信じられていた一例である。

図1 揚州周延「千代田之大奥 御煤掃」 (国立歴史民俗博物館所蔵)

 花王は、「清潔な国民は栄える」をモットーに、1890年に花王石鹸を発売して以来130年間、洗浄製品の開発と提供を通じて清浄文化の発展に寄与してきた。一方、近年ではサステナビリティへの関心が高まり、清浄文化に関連が深い環境や公衆衛生などが社会的課題として議論されるようになっている。
 そこで同社は、このような時代の清浄文化の発展について考えるため、人々の清潔に対する意識・洗浄の意味の時代による変化を改めて検討することを目的に、2017年から国立歴史民俗博物館と共同で民俗学・歴史学を中心とした研究を実施してきた。
 研究手法は、日本の古代から近現代までを対象に、過去の人々の清潔に対する行為や意識について、民俗学資料や公刊統計資料などをもとに、時代背景や変化を検討するというもの。民俗学資料としては、「養生訓(1712)」、「歯牙統計(1892)」「奈良県風俗志(1915)」、「男鹿寒風山麓農民手記(1935)」などが挙げられる。

■今回の研究知見

  1. 衛生環境の改善による、清潔に対する意識の変化

高度経済成長期(1955年~1973年)には、社会全体と一般家庭の双方で衛生環境が大幅に改善された。上下水道の整備や新築の清潔な公営住宅の増加などで赤痢患者数が激減したことがその一例である(図2)。
 また、国産の電気洗たく機がこの時期に一般家庭に普及し(図3)、花王が開発した衣料用洗剤「ワンダフル」などもそれに伴って爆発的な売れ行きを記録した(図4)。


図2 赤痢患者数の推移と上下水道普及率出典:厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健社会統計課 伝染病統計、厚生労働省 水道普及率の推移

 

図3 電気洗濯たく機普及率の推移
出典:内閣府景気統計部 消費動向調査(2018年3月調査)
図4 花王の衣料用洗剤 ワンダフル(1953年発売)、ザブ(1960年発売)

このような衛生環境の変化で、清潔は人知を超えた力に左右されるものから、技術や個人の力で得られるものになったと考えられる。同時に、不潔で不衛生な環境は日本人には不慣れなものになっていった。

  1. 2.洗浄行為の頻度増加による、洗浄の目的の変化  
    1.  高度経済成長期には、洗浄行為の頻度も大きく増加した。例えば洗髪では、終戦(1945年)直後は月1~2回であったのに対し、1980年代は週2~3回(月10回程度)と大きく増加し、1990年代には、ほぼ毎日になっている(表1)。
表1洗髪頻度の変遷(花王調べ)
  1. また、洗濯も、天候に左右される屋外の水仕事から、屋内で毎日行なえる仕事に変わることで、頻度が上がった。  このような頻度の増加によって、洗浄には「汚れを落とす」に加えて、「汚れの予防」「身だしなみを整える」という目的が備わっていったと考えられる。

3.「きれいにする行為」に対する普遍的な意識  

 清潔に対する行為や意識は高度経済成長期に大きく変化したが、普遍的なものはないかという観点での検討も行なった。その結果、「きれいにする行為」は古今を通じて、単に汚れを落とすだけではなく、空間や身体をリセットして新たな未来を迎えるきっかけになると信じられてきたことが確認された。
 例えば、江戸時代の年末のすす払いは、新年の年神様を迎える信仰的儀礼であった(図1)。これは現在も、過去の汚れや災厄を拭い去って新年の多幸を迎える準備をする年末の大掃除として継承されている。また、江戸時代に将軍に謁見する外国の要人が江戸を訪れる際は、町人が通り道を清めてもてなしの意を示した。これは現在も、客を迎えるときの玄関の門掃きとして継承されている。
 さらに、禅僧が心を整える修行の一環として古くから行なってきた寺の清掃は、断捨離などの心理状態の調律を伴う整頓術に受け継がれている。
 これらに見られる、空間や身体をリセットすることが新たな未来を迎えるきっかけになるという意識は、民俗学における「ケガレを祓う」意識が一般の人々の生活に現れたものと解釈することもできる。ケガレは、民俗学では、不潔で危険で強い感染力をもつ死の力を意味する。「祓え」という信仰的儀礼でのみ解消が可能で、その結果、縁起物や生命力に逆転すると考えられている。
 高度経済成長期に起こった衛生環境の変化や洗浄頻度の増加によって、清潔は人間の力で制御しやすいものへと変化し、「汚れの予防」「身だしなみを整える」という意味が備わった。その一方で、「きれいにする行為」は、古今一貫して、空間や身体をリセットして新たな未来を迎えるきっかけになると信じられてきたことも確認された。
 なお、今回の研究成果は「日本民俗学会第71回年会」(2019年10月12~13日、茨城県つくば市)で発表された。
■共同研究者のコメントは次の通り。
◆関沢まゆみ氏(国立歴史民俗博物館教授、研究推進センター長、文学博士)
専門:高度経済成長と生活変化、代表著書:『現代「女の一生」人生儀礼から読み解く』

関沢氏


 今回の共同研究では、水道などのインフラ整備や電気洗たく機・家庭風呂のような設備の開発だけではなく、共に使われるシャンプーや石けんなどの開発と大量生産体制の整備が相まって、体を洗う行動の回数を増やし、日本人の清潔への意識を形作っていったことが分かり印象的であった。学術研究の現場と企業の研究開発の現場との交流が実現して、互いに新しい知見を得ることができたと思う。

◆新谷尚紀氏(国立歴史民俗博物館名誉教授、國學院大學 文学部 教授、総合研究大学院大学名誉教授、社会学博士)
専門:民俗伝承に見られるハレとケ、ケガレとカミの相互関係、代表著書:『ケガレからカミへ』

新谷氏

 これまで、死者に触れたときの穢れのような、入浴や手洗いだけでは拭えないケガレを儀礼によって祓うことで、カミが生まれるというしくみを論じてきた。共同研究では、身体を洗い清めることが心理的なリセットやリフレッシュにつながって新たな生命力をもたらすという点で、日常の行為と儀礼的な行為の共通性を見出すことができ、たいへん感動した。民俗学から見た信仰のような分析と、洗剤や清潔を扱う分析とが、たがいに通じるというのは新たな発見であった。

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